皆さん、こんにちは。お正月いかがお過ごしですか?
 
私が子どもの頃と違って、元旦からスーパーやお店が開いているので、なんかお正月ぽくないというか、便利で出かけるところが多くなった分、お正月もより日常に近くなってしまったような気がします。子どもも大きくなったのでゲームもしないし、、、、。昔は、お正月だけ夜更しOKだったので、家族で「朝まで桃鉄」した年もありましたけどね。
 
あ、今日は映画に行きますよウインク
 
おせちも買うのが普通になってしまって、、、ニヤリ
 
私は、とりあえずエビを炊いて、そのお汁でくわいとねじりこんにゃくを炊いてます。それと栗きんとん爆  笑どれも、子どもが好きなんです。あ、くわいは食べないかな、、。くわいは父の好物で、私も子どもの時は食べませんでしたが、この年になって好きになり、いつもお正月には作るようにしています。照れ
 
さて、2017年 第1回の「父の本棚」は、「高熱隧道」です。
 
なぜかというと、父が吉村昭氏の小説を読むきっかけになったのが、この本であり、私に読むのを熱心に勧めた一作でもあるからです。
 
時 代 : 昭和11年8月から昭和15年11月
場 所 : 黒部峡谷
場 面 : 黒部峡谷でのトンネル(隧道)工事
内 容 : 第二次世界大戦より5年ほど前に黒部峡谷に発電所を建てるため岩盤最高温度   
      165℃という高熱地帯に隧道を掘る難事業が着工された、、、。
       人間が持てる当時の英知と屈強な人夫(小説内でこのように表現されています)
      達とを黒部の大自然が立ちはだかる、、、、。
 
      ネタバレあります。
 
 掘り進めるにあたっての岩盤の温度は、地質学者によって推測されますが、黒部には高温の断層が走っていて、専門家の推測を軽く超え、岩盤は165℃もの高温を発します。発破を使うにしても、人力で掘り進めるのですから、165℃の温度に人体が耐えられるわけもないのですが、人夫の実労働時間を1日、1時間とし、継続されました。で、高額な給料でたくさんの人夫を雇い実労働時間としては、交代制で24時間稼働とするなど、何が何でも成功させなければならない国家レベルの事業であったことがわかります。軍需工場の発電源として、何としてでも必要な施設として政府要請の事業だったのです。
 
  この、高温に耐えられないのは人間だけではない。、、、、、、そう、ダイナマイトも耐えられない。当時のダイナマイトの使用制限温度は40度。
 
  まだまだ、トンネル完工には程遠いのに、ダイナマイトが無くては作業が進みません。色々な工夫をしながらダイナマイトを使用しますが、岩盤の温度が、110℃を超えたある日、自然発火してしまいます。 
 
       トンネル内にはたくさんの人夫が作業中でした。
   
 「午後2時20分、藤平は坑道内から発破の音をきいた。が、それから間もなく緊急鐘の叩かれる音をきき、同時に坑口からとび出してきた人夫頭が事務所に駆けてくるのをみた」、、、、、。ダイナマイトに装填中、爆発したのだ。
 
 
 坑道内にたまったお湯の中に浮かぶ桃色の物体は、作業をしていた人夫4名と高温対策で人夫にホースで水をかけていた「かけ屋」4名の計8名の胴体、手や足内臓だった。工事の責任者である技師の藤平氏と技師の根津氏が見たものはバラバラになった人夫達の体。
  技師の根津氏は、素手でバラバラになった体の一部を一つひとつ抱き上げトロッコに集めていく。岩盤にへばりついた肉片をはがす。
 
 坑道から離れると根津氏は、蓆をひいてその上にバラバラになった肉塊を8人の人夫の体の形に修復しようとする。驚き呆然と見ていた藤平氏と人夫たちも、その意図を理解すると自分たちも同じように加わった。さらに、遺体を縫合し、葬った。
 
     後日、藤平氏は根津氏のその尊い行為の真意に気付く。
 
 当時の土木工事、隧道工事は常に死と隣り合わせであるが、その「死」は技師よりも人夫の方が当然近い。人夫たちの労働力なしでは当然完工できないが彼らの不平不満は工事のモチベーションや進行にも大きく影響する。人夫達は自分たちに指示する技術者が自分たちを物として扱うのか、同志として思っているのか重要なことである事を根津氏は知っていて、人間がバラバラになった時、どうすべきか理解し、さらに実践できる人間なんだということを。
 
   普通は、バラバラになった人間を血まみれになりながら手で集めるなんてできない。
   普通は、それを人型に修復なんてできない。
   普通は、代わりのいる死んだ人夫の体をお金をかけてつなぎ合わせようなんて思わな
   い。
 
  でも、根津氏はそれを実践した。小説内では「演技」と表現されていたが、所謂「パフォーマンス」をしたのだという事に藤平氏は気がつく。
 
  普通は、演技ではバラバラの人体をつなごうなんて、出来ない。
  でも、それをした根津氏を人夫達は「彼は、人夫を仲間と思っているし、その死に責任を感
  じている。」と、根津氏の行為によって人夫達は労働環境の過酷さにも関わらず工事を続
  ける、、、、。
 
  この後も、自然は牙をむき続け、犠牲者は300余名を超える。
 
  隧道が通ったその日、歓喜を噛みしめる技師の元に人夫頭が早々にこの地を離れるように忠告する。
 
 隧道が通った感動を読み手に一瞬感じさせるが、人のほの暗い恨みの恐ろしさを匂わせて、小説は終わる。
 
 
  私の父が吉村昭氏を知ったのは、あるビジネス書で「あなたなら、こんな時どうするか?」
 というテーマで「高熱隧道」のこの場面が出題されていたからと話していました。
  自分が責任者の工事で人間がバラバラになるような事故が起きた時、あなたが責任者ならどうするか?、、、父がどう回答したのかは聞きませんでしたが、会社の年間予算で、死亡者が出た場合の費用として数千万円を計上していると話をしていたので、危険な現場もあったのでしょう。
 父は、仕事の愚痴を母には話していたようですが、私は聞いたことがありませんでした。私自身、父親の仕事に関心も薄かったですし、話もしたくなかった、、。でも、今となっては聴いておけば良かったと後悔しています。
 
 このビジネス書で父は吉村昭氏の小説を知り、私に熱心に勧めてくれて、私の考え方に大きな影響を与えてくれました。
 
 父が、「高熱隧道」を勧めてくれた時、
 「バラバラになった人間を素手で集めてつなぎ合わせるんだ。でも、それは、人夫達に不平不満を向けさせないための演技なんだ。仕事をするって、それぐらい厳しいんだ。」と高校生の私に話をしてくれました。その時は、気楽な女子高生だったので、フウンという感じでしたが、仕事をするようになってから、仕事の失敗でぐずぐず悩んだり、もうやめたいと思った時、吉村昭氏の「高熱隧道」と「仕事をするって、それぐらい厳しいんだ。」と言った父の言葉が思い出されます。
 
 以前書いたように、父は仕事人間でした。常々、黒部に行きたいと話をしていましたが、とてもそれが叶うような生活ではありませんでした。
 
 その父も定年を迎えた年、母と二人で黒部に旅行に行きました。
 
 それを聞いて、すごくほっとしたのを覚えています。ただ、母から聞く、旅の話は、珍道中で父の方向音痴のエピソード満載の笑えるお話でした。
 
 「高熱隧道」のエピソードは他にもたくさんあります。全て、吉村氏の取材によるものです。
 私と父のオススメの一冊です。是非、読んでください。
 
 
 それでは、本年も皆様にとって今年が良い年でありますように、、、。