吉村昭著

「羆」に収録   新潮文庫  ー羆ー

主人公 銀九郎 男性 44から46歳  職業 熊猟師
家族  銀九郎の母 八重 女性ながらも腕のよい熊撃ち猟師
    父親は不明 母 八重が羆を撃ちに山に入った際にできた子。   銀九郎が成長するにつれ容貌からアイヌの男性かもしれないと推   測されている。つまり、父親のわからない、私生児。

    妻 光子 28から30歳 貧しい家の出 首から体にかけて赤い   大きな痣があり、婚期を過ぎていた。銀九郎の叔父が銀九郎に強   引にお見合いをさせて夫婦となる。

    権作 銀九郎が撃った雌の羆が連れていた小熊 持ち帰って売   るつもりだったが、熊撃ちをやめて、光子と土産物屋をするの    に、客寄せに飼いはじめる。


【内容】ネタばれですキョロキョロ

  光子の葬式から物語は始まる。光子の死因は、飼っていた羆の権作が暴れ、首をへし折られたため。銀九郎は、逃げた権作を撃つため山に入る。


 と書くと権作の母羆の復讐、または、銀九郎の妻の復讐といった構図が浮かぶが、この物語りには、「復讐」の文字はない。

 銀九郎が権作を追うのは妻の復讐だが、権作は、ただ野性に戻ったためのように読めた。

 若い時に読んだ際には、銀九郎と権作の追いつ追われつの物語りと思ったが、改めて読んでみて、私は、銀九郎と光子の哀しい運命に釘付けになってしまった。

  銀九郎は、元々熊撃ちを生業とする寡黙な男。孤独を孤独とも感じない、熊撃ちしかできないから熊撃ちをしているような男。女に興味があったかどうかわからないが、生涯独り身でも構わないくらいの無骨な男。一方、光子は体の痣のため、このまま独り身だったかもしれない女。
見合いを嫌々受けた銀九郎だが、一目で光子を気にいり二人は結婚する。銀九郎が初めて光子の裸身を見た時「痣は首筋から左肩にひろがり、形の良い乳房の隆起に滝のように流れ落ちていた。白い肌に染みついた朱の色は、かれの眼に痛々しいものに映じた。深山の山肌彩る紅葉のように、それは燃えるように、それは鮮やかな色だった。」、、、、、、。

なんてエロティックな体。もし、自分にそんな痣があったら、その理不尽さにありとあらゆるものを恨んだと思うが、吉村氏の表現する鮮やかな赤に彩られた光子の体が羨ましいとすら思ってしまった。

銀九郎は光子の体に夢中になるが、光子は「こんな体で悪い」と涙ぐむ。

銀九郎は、山での猟で生計を経てていたが、光子と離れがたく、やがて土産物屋をひらく。光子は喜ぶ。店で立ち働く光子を見る銀九郎の眼差しは穏やかで温かみがあったと思う。

ー  光子視点で語られる場面は全くないが、光子もこの無骨な男との生活に幸せを感じていたと思う。体の赤痣は、一生結婚しないままでも不思議ではない忌み嫌われるものだ。それだけに、銀九郎から激しく求められ、土産物屋を開いてでも、自分の側に身を置こうとする男との穏やかな生活に幸せを噛み締めていたと思う。自分はこんなに幸せでいいのかと、こんなに求められて女としては、最高の幸せではないかと思う。   ー

 銀九郎とて、光子との穏やかな生活がいつまでも続くと信じていたに違いない。

今から30年ほど前に読んだ時には、羆の権作の賢さや人との交流や温情とは相容れない、野性の強さが強く印象に残ったが、今は違う。銀九郎と光子の短い結婚生活が私には、儚過ぎて哀しい。

これが、歳を経るという事なのだろうか。

こんな、感想父には照れ臭くて話せないな。


結末は控えるが、幸せの絶頂の喪失ほど、生きる意欲をそぐ出来事はないなぁ。