僕は、柴本礼さんの著書「続・日々コウジ中」で紹介されてる、「目撃者がいなかったkさん」です。


 僕を轢いた信号無視野郎は、僕が意識不明の時に告訴され、僕が意識不明のまま、刑事裁判は進みました。


 日本の裁判では、「疑わしきは被告人の利益に」というのが大原則なんだそうです。


 僕が信号無視野郎に轢かれた瞬間の目撃者がいなかったもんだから、犯人はウソばっかり言いっぱなしで、裁判官から注意されたほどでした。


 でも、「疑わしきは被告人の利益に」というのが大原則だから、それを検事さんは否定できませんでした。


 でも、交通事故案件で起訴猶予が多い昨今、起訴してくれた検事さんには感謝してます。


 今日、親友が遊びに来てくれました。


 親友のお父さんは、半年ほど前、自転車に乗ってるところ、通勤途中のワゴン車に轢かれて、今も意識不明の重体です。


 その事件の犯人も、自転車に乗った人が急に飛び出してきたから避けきれなくて轢いてしまった、と自供しているそうです。


 自転車に乗った80歳近い老人が、目にもとまらぬ速さで飛び出すでしょうか?


 でも、「疑わしきは被告人の利益に」というのが大原則の日本の裁判では、意識不明のお父さんからの証言は期待できないでしょうから、「死人に口なし」状態で、お父さんを轢いた犯人は、僕を轢いた信号無視野郎と同じように、ウソばっかり言うのでしょう。


 でも、今の日本の裁判では、被告のウソは、「言ったもん勝ち」です。


 こんなことは許せないから、僕は、信号無視野郎とその一味とは、徹底的に闘います。


 信号無視野郎とその一味には、僕を轢き殺せなかったことを後悔させてやります、絶対に・・・。