信じることを考えた
それがないと生きていけないという思いをこだわりを持ってこだわりすぎることで自分を苦しめているんだなって気づいたことがある。自分の作った思い込みが、いろんなことをむずかしくしたりくるしくさせているのだなと思う。その考え方が、ペットロスにもつながっていたと気づく。強い絆と、その者への尊敬などがそれがなくても生きていけるなんていうことばを簡単に言いたくない私もそうだから。言えない言いたくない。思えない思いたくないのだなと。自分がいちばんいいと思うものじゃないとウソだとか。それじゃないとダメだとか。でも、ない ものは、ないんだなあ 。。それを、「いやだ、いやだ、いやだ」と強くこだわり続けてしまっている。そのこだわりが苦しいのに、なかなか手放せない。それだと、あったらしあわせだけど、なかったらしあわせじゃないと、自分に言ってるようなものだから。このひとつの考えは、いろんなところにも影響しちゃっていた。気づかぬうちに、ぎゅっとつかみっぱなしだったなと。少しづつゆるめられたらいい。そして心からまた笑えますように。たとえば音楽がない ならば。花を見てもいい、星を数えてもいい。数えないけど(笑)いや、数えるけど。波音聴いたり。鳥の声を聴いたり。もできる。舞踊を見たり。野鳥の姿を見たり。お人形作ったり。おいしいもの食べたり。作ったり。家族や友達でおでかけしたり。はじめは、他のものでは物足りないと思うだろうけど。けれど、得ることがしあわせ ないと しあわせじゃない~ていうところから、そこにあるものが しあわせ だなあって、自分の周りに今あるものだって、かけがえのないものだなって感じられたら、しあわせだ。目の前から、なくなったものはなくなってしまったんじゃなくて自分が想えば わたしは ある と思う。きちんと、現実で感じた ない の悲しみを感じきってからじゃないと、よけいに切なくなってしまうこともあるけれど。悲しみを見るのはつらい。誰でも。見たくないだろう。けれど、ない ものは ない。さみしい時にはさみしいと思うのを全力で感じるだけしかできない。そのくりかえししか思いつかない。涙は自分の味方。涙を流すたびに、少しづつかなしみも、変化していける。涙を流すたびに、想いと想いで繋がれる。って思ってる。なにかを信じるだけで、少しだけ景色が変わることもある。私も、いつも信じれてるわけじゃない。信じることを信じられなくなってしまった私は、なぜまた信じることを信じようって思えたのか…すごく意味わからないと思うけど。。心の中でどうぶつたちに聞きました。そしたらいろいろ聞こえてきて「ここはぼくたちが、いなくなった世界じゃなくて、ぼくたちがいた、楽しくくらした世界だよ。今もずっと」「信じることを信じてみて」「困った時に助けてくれる人は必ずいるから」この声が聞こえてきたことがきっかけなのだけど意味わかんないね(笑)ただのそれだけのことなのに、私はこの声で根拠もなにもなく、そう信じようって思えたんだ。(´エ`) 意味わかんないね♪また、へこんで、後ろむいたり戻ったりもするかもしれないけど進んだり戻ったり横行ったり、ななめ行ったりの繰り返しでそれでいいと思ってる。私は信じています。強い絆なのだ、そう簡単にはとけてしまわないと信じられない日も、また来てもその時にまた考えよう(´エ`) と思う♪この信じるきもちは、どうぶつたち一緒に暮らしながら身につけてくれたのだと思う。みんなね、真っ直ぐにわたしたちを信じてみつめてる(´エ`)あのまなざしにキャッチコピーをつけるならすぐに浮かんじゃう。「ぼくたち信じてる~」たくさんのこと おしえようとしたわけでないのにおしえてくれてった(´エ`) かわいいひとたち。そして、人を信じるについて考えた信じるかは相手のもの。信じることは一方通行なんだなと教えられた。信じてもらうことよりも、信じる側の 信じるは、ずっとずっと大きなものなんだと思った。わたしも、そんな信じるを、どうぶつたちみたいにふつうのことみたいにできるようになりたいどうぶつは大きいな。