☆とりぁぇずメロンソーダで☆

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何と4年近くも放置でした。

以前のブログを読んでいて、今このブログを見ている人はいないだろうなぁ。

 

先日、ゆっちゃのお墓参りにいきました。

ゆっちゃの家の近くの道路は相変わらず工事中で、4年の月日が経ったなんて思えないというか

そこだけ時間が進むのが遅いみたいな感覚になりました。あんまり変わってない。

手を合わせる前から涙が出ていたのですが

いつもと違うのは父がいたことで、あまりゆっくりできませんでした。

 

この4年は、、いろいろありました笑

 

よくゆっちゃに報告するんですが

「新しく圏央道が繋がって湘南まで1時間半で行けるようになったよ」とか

「ブルゾンちえみが出てきたよ」とか

「あなたとよく行ったスキー場で働くことになったよ」とかね

いろんなことがあったなぁ。。。

最近でいうと、世界でコロナウィルスが蔓延していて多くの人が苦しんでいるし自粛をしなくちゃいけなくて、私も家の警備をしてるよって。

 

現在の私はというと、一番の環境の変化は

仕事を辞めました。

理由は一つじゃないんですが、まぁ総括するともういいかなって感じなんですよ。

(ニュアンス、友達はわかると思うんですけど)

でもこれって初めましての人に話すと

この人信用ならんなって感じしません??笑

だからって全てを話すと長いし結構重くて初めましてなのになんかすみませんオーラすごいんですよね。

会社の送別会で私から一言ってとこで退職の経緯を話したら、後輩がムービー撮ってくれてて

何と3分、なげぇ。

 

仕事には本当に助けられました。

仕事でゆっちゃがいない悲しみを少しでも紛らわせようとしていました。

でも悩んでもいました。あの時ほど頑張れないなと思っていました。

闘病中、ゆっちゃの病気は治ると思っていましたが二人でゆっちゃの社会復帰は難しいかもしれないね、と話していました。

そうなったら、もう今から私が大黒柱だ!とすっごく仕事頑張れた。

病院に行くから短時間勤務で働いていて、少しでもチームに迷惑をかけないように作業は私が率先しながらどうやって成果を出すか、

大変だったけどゆっちゃのために、二人の未来のため頑張れた。

上司も後輩も一緒に泣いて支えてくれた。

あの時のメンバーには本当に感謝してもしきれないくらい助けてもらった。

三回忌が終わった時、お義母さんに「ここからはちゃとの人生だから戸籍を抜けて好きなように生きて欲しい」

と言われました。

とても優しい人なので突き放してくれているのはすごくわかりました。

思ってないけど、こういうのって自分からは言いにくいしね。

だけど私は、好きなようにってどう生きればいいの?ってなっちゃいました。

自分のためだと全然頑張れなかった。

すごく疲れるようになった。(これはもしかして歳かもしれないけど)

頭痛が増えたり、不調だなと感じることが多くなった。

仕事で未来の話をすることができなかった。未来の社会はこうなって、未来の会社は、私はこんな仕事をしてこうなってる!みたいな話が苦痛でした。

毎日、いつ死んでもいいと思っていたし早くその日が来ないかなっていっつも思ってました。

(それでカップ麺とか適当にご飯食べてたから不調だったのかな)

それと同時に、本当にもうやりたいことやりきったかな、と考えることも多くなった。

でもやりたいことが見つかってしまうのも怖くて。

やりたいことがあると、「生きたい」って思っちゃうから。

なんか、今度は悩んでるの嫌だな、とも思い始めて笑

そういう人と一緒に働くとチームの士気が下がるっていうか。

そンなときに、去年の命日にたまたまSNSで当たったリフト券で苗場に行ったのね。

そこで辞めようって決めました。辞めても辞めなくてもどっちにしろ一回は後悔するかな、なんて思ったんだけど

良く言う人生一回きり、未来を全く想像できない日々を過ごすことに決めました。

そもそも未来を想像できなくなった私にはいい!

 

今はね、すっかり肩こりもなくて頭痛もない!すごくない!?

あと全然後悔今の所なし。ってもまだ半年も経ってないけど。

もっと仕事のこと思い出すかなって思ってたけど全然思い出さないし。

 

とりあえずハワイ旅行して

セブに語学留学して

年末年始は社会人になって初めて家で過ごせました。ニューイヤー駅伝みれた!!

あとこのアメブロで出会った方とも初めてお会いすることができた!8年越しくらい。

で、ゆっちゃとよく行ったスキー場でリゾートバイトをしました。←イマココ

濃いな〜〜〜

友達には、そんなに生き急がないでと言われました。笑

 

あとは、、ほとんど寝落ちじゃなく眠れるようになりました。

でもいまだに涙を流さないで終われる日はありません。

必ずどっかで泣く。夜がほとんどかな。

とりあえず、何とか生きてます。

今日という日は残りの人生の最初の1日だ。

 

思いついたことをそのまま書いたのでまとまってないし読みズラくてごめんなさい。

何で書いたかって?

自宅警備中だからだよ!

時間があるから。

忙しいんだよ、本当は。

ワンピース読んだり、英語の勉強したり、筋トレしたり、ヒョウくんと遊んだりさ。

あ、ヒョウくんは元気です。猫ね。19歳になりました。

 

最後まで読んでくれてありがとうございます。

また書きます。

 

 

 

 

 

 

昨日、お見舞いに来てくれた友人とひょんなことから公園の遊具は今思えば結構危険だったね、という話になりました。

ジャングルジムはよく逆さまで入ってたな~って。
足の甲を枠に引っ掛けてさ。
犬神家!!!!みたいな。
や、当時はそんなこと思ってなかったけど。
今だと、スパイダーマン!!!とか言って遊ぶのかな。
でも頭から落ちてる子もいたし、あれは危ない。

シーソーもさ、自分が高い時に下になってる相手がさ
急に「もう帰らなきゃ!!」とか言っていきなり立って
急降下のちにお尻強打!!!ってゆう。あるある。
危ない。

地球儀はやばい。おわり。

一番危ないのはさ、あれ、名前わかんないままですごい気持ち悪くて。
ギッタンバッコン。
あれ、なんて名前の遊具だったっけ?w
ギッタンバッコンはもはや遊具ではなくただの危ない金属の塊でしょ。
バイキングの縮小版てゆうか、ものすごく高速で左右に揺られて中の椅子には
座ってられないから!
みんなが外枠につかまって左右に揺らしてるから!

びっくりしたのは

私の心配をよそに
そういった遊具が今、公園から姿を消し始めているらしい。
危ない危ないって心配しなくていいらしい。

ギッタンバッコンは固定されて左右にうごかないただの座れる椅子らしい。

ほんとに?

それはそれでつまんないね。

危ない遊具だけど私は実際それらの遊具で記憶に残る怪我をしていない。

怪我をしたのはブランコだけだ。

こぎすぎて、ブランコと地面が平行になったとき、そのまま垂直に落ちた。
左肘を強打して夕方まで我慢して夜になってあまりの痛さに病院にいったら折れてた。
そのせいで幼稚園のお泊まり行事に私だけ参加できなかったという苦い思い出があって
すっごく覚えてる。悲しかった。
ブランコも、飛んで柵を越えようとしたりするのは危なかったよね~って話してたら
友人の妻が
「最近の子はブランコよけれないんだよね~」って。
え。ってなった。
あ、友人の妻は小学校で保健の先生をしているんだけど
「ブランコから飛んで着地したあとどかないから戻って来たブランコにぶつかって怪我するんだよね~」って。

いやいやいやいや。
飛べた!やった!とかなっちゃってるのかな。
運動神経ないがすぎるでしょ。
運動神経がどうとかじゃないか。

衝撃的だった。

今の子はってくくっちゃいけないけどね。
なんだろ。
運動神経良いのと良くないのが綺麗にすっぱりわかれてるとか?
「普通」の子がいない。
通知票から普通がなくなったように。。
白井くんとかすごいもんね!体操の!
進化がとまらないもんね。


友達の子供に対して必要以上に心配性な私。
うつ伏せなんだけど大丈夫?
走りたいっていってるんだけど大丈夫?
友達の子供じゃなければ
子供なんだし怪我して当たり前、元気な証拠じゃん。とか言えるのに。

話の最後に友人が
庭にジャングルジムつくろうと思ってるんだよね~
と楽しげに話してきたので
真剣な顔で
絶対やめたほうがいいと思うと言っておきました。