おはこんばんにちは、S子ですにっこり本


先日、Kindleで久坂部羊氏の小説『老乱』を読みました。

この小説は認知症がテーマになっており、レビー小体型認知症を患ってしまった主人公・幸造(78歳)の視点から綴られる出来事と日記、介護によって疲労困憊していく息子夫婦の様子が交互に描かれています。それが物語に奥行きを出していて、小説(フィクション)ではなくドキュメンタリー番組を観ているような感覚を味わえる作品です。


作者の久坂部羊氏は医師のため、認知症の進行とそれに伴う周辺症状(問題行動)にリアリティがあり、読んでいてツラくなるほどでしたあせる


特に認知症の初期段階である物忘れ、同じ話を何度も繰り返す、暴力的な言動、病院での受診を異常に嫌がるところ等は、現在のうちの義母とまったく同じで、身につまされました。私は自分と同じ立場である息子の妻・雅子に感情移入してしまいました。


認知症患者は病識がないか、あっても忘れてしまう為、配偶者や子どもが病院で検査を受けるように勧めても絶対に言うことを聞きません。高齢者は記憶力や認知能力が衰えても、プライド(自尊心)は保たれている為、気分を害して病院へ行くことを拒否することが多々あります。これは自動車の運転についても同じことがいえます。


また、親や配偶者が認知症を患っていることを認めたくない気持ちから、放置してしまうことも少なくありません。ここで時間が掛かってしまい、初期(軽度)から中期(中度)まで認知症が進行してしまって暴言や暴力が出て初めて焦るというパターンが多いようです。


物語が進むと同時に幸造の認知症もどんどん進行していきます。最初は理路整然とした文章で綴られていた幸造の日記でしたが、段々と誤字脱字が増えていき(簡単な漢字をひらがなで書くのに対して難しい漢字はキチンと書かれている等)、文章も意味不明なものになっていく様は、ダニエル・キイスの名作『アルジャーノンに花束を』と同じ演出で思わずニヤリとさせられました。


表紙のデザインは幸造の日記とメモをイメージしたものだと思われますが、読んだ後に表紙を見返すとなんとも切なくなります汗


物語の最後(主人公の最期)は救いがあったので、読後感は悪くありません。でも、実際には難しいでしょうね。


2025年には団塊世代が75歳以上の後期高齢者になり、日本人の3人に1人が65歳以上の高齢者、5人に1人が75歳以上の後期高齢者になるそうです。それに伴い、認知症患者数は2012年の462万人(65歳以上の7人に1人)から2025年には約700万人(65歳以上)になると予想されています。


義母にされたことを思い出すと腹が立ちますが、30年後の自分も認知症になるかもしれないと考えると本当に恐ろしくて、あまり長生きはしたくないなぁと思ってしまいますあせる