私が短期大学を卒業したのは【就職超氷河期】と言われた年だった。団塊ジュニア世代で人数が多いところに、どの企業も不景気で採用を見送るか、採用人数をかなり絞り込んだ為に、大量の就職浪人が発生した。特に女子学生は厳しかった。(当時女性は、四大卒よりも短大卒のほうが就職率が良いと言われていた時代の話だ。)私の学校も就職が決まっていたのは、卒業生の3割に満たなかった。

私も卒業時に就職が決まっていない人間の一人だった。

卒業後、アルバイトをしながら就職活動を続けて、就職が決まったのは卒業後半年が過ぎた時の事だ。

その時の話は以前書いたので、省略する。
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就職が決まって部屋を借りるだけのお金が貯まった私は、母に何度か『家を出たい。』と言ったのだが、母は『アンタだけ自由になるなんて許さない。それにアンタが家を出ていったら、お父さんから生活費をもらえなくなるから絶対に駄目!』と言い、私が家を出ることを許可しなかった。私がしつこく食い下がると『部屋を借りるだけのお金があるなら、全額アタシに渡しなさい!どうしても出て行くというのなら、有り金全部置いていけ!』と怒鳴って、手当たり次第に物を投げつける始末だった。

母にとって娘は【人質】のようなもので、だからこれまで父に対して強気でいられたのだ。その【人質】がいなくなってしまったら、もう母は用済みになってしまう。私が家を出たら、父は直ちに母を追い出すだろう。母もそれはよく理解していて、それで私を自由にさせないと言っているのだ。それに、母にとって娘とは非常に【都合のいい存在】だったから、手放したくなかったのだと思う。

『アンタはアタシの奴隷みたいなものだから、当たり散らしたり嫌がらせをしても許されるのよ。アンタがいるから、アタシは今まで離婚できなかった。アンタのせいで、アタシはずっと不幸だったんだ。だからアンタなんか絶対に幸せになんかさせない。一生アンタの邪魔をしてやる!』

母は私にそう言って憚らなかった。

ちなみに母に貸したお金は、ほとんど回収不能だった。母はお金を借りる時にキレ、返す時は借りた時以上にキレたからだ。お金を投げつけられ『守銭奴』呼ばわりされたら、誰だって心が折れるのではないだろうか。

母は異常性格の持ち主だったが、外面だけは良かった。母のこういう負の部分を知っているのは、父と私の二人だけ。母のことを知っている人間に、こういう事を話しても、まず信じてもらえない。だから誰にも相談出来ず、助けを求めることを諦めてしまう。

私は精神的に限界を迎えつつあった。

今になってその時の事を振り返ると、私は母から精神的に執拗に追い詰められて、かなり頭がおかしくなっていたように思う...。

私のその頃よく読んでいた本は【完全自殺マニュアル】(鶴見済氏著)や【死体は語る】(上野正彦氏著)、推理小説等だった。

私は自殺を考えていたわけではない。

〈母を自殺に見せかけて殺すにはどのようにしたらいいのか〉をということを調べる為に、これらの本を読み漁ったのだ...!

【完全自殺マニュアル】は発表された当時、かなり話題になったからご存知の方も多いと思う。
【死体は語る】は法医学の第一人者である上野正彦氏が過去に診てきた(検死した)変死体について、詳しく書かれている本だ。
推理小説は古今・国内外を問わず、本格推理小説から社会派推理小説、新本格推理小説まで幅広く読んだ。

そして〈そんな方法はない〉という結論にたどり着いて、私は心底がっかりした。

もしあるとしたら谷崎潤一郎の小説【途上】のような、probabilityの犯罪だけではないだろうか...?(※直接自分の手を下すことなく、ちょっとした知恵と偶然によって相手が死ぬ確率を高め、相手が死に至るのを辛抱強く待つ方法。不確実性が高いから、殺意を立証することが極めて難しい。)

母が【いつか死ぬ】のを待てるほど、私は気が長くない。

物心ついてから約20年もの間、母の横暴に我慢してきたのだから...これ以上はとても私の神経が耐えられそうになかった。

しかしだからといって、自分の手を汚すのは絶対に嫌だった。そんな事をしたら、母の思うツボだ。母は私の不幸を願っているのだから。

私はジレンマに苦しんだ。

...そんな時、転機は訪れた。
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ちょうどその頃、H主任と奥さんの離婚が成立して、H主任はY市内のマンションで一人暮らしを始めた。

H主任の離婚が決まった母は有頂天だった。土曜日の朝からH主任の部屋へ行き、帰ってくるのは日曜日の夜だった。H主任の部屋でビデオを観たり食事を作ったり、セックスしたりするのだと言う。母とH主任の間柄は、パート先でも噂になっていたらしく、会社の人に会わないように、デート(外出)はほとんどしなくなっていた。

父はあれから全く家に帰ってこなくなっていたし、私も仕事で忙しく、朝早く家を出て夜遅くまで残業し、家に帰るのは深夜だった。身体はキツかったが、あの母といるよりは全然マシだった。

母を咎める人間は誰もいない。

H主任は離婚して、義理の娘との養子縁組も解消したとの話だった。(元)娘さんは、どんな気持ちだったのだろうか...これには本当に心が痛んだ。

これで母とH主任の間には障害は無くなった。

母は私に『お父さんとは離婚する。アンタはもう用済みだから、さっさとこの家から出ていけ!』と言い放った。

私はあまりにも自分勝手な母の言い分に腹が立ったが、すぐに『これはチャンスなんだ。』と思い直した。

そしてその次の週末には不動産屋へ行き、部屋を契約した。母の気が変わらない内に、さっさと事を済ませなければならない。

私が契約したのは国道沿いにあるワンルームマンションだった。ベランダから海が見えるのが気に入った。狭くて車の音がうるさいのが少々気にはなったが、そんなことは大した問題ではない。【起きて半畳 寝て一畳、天下取っても二合半】というではないか。人間が生きていくのに、それほど多くのものは必要ないのだから...。
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障害が無くなると、H主任と母の間に【温度差】が生じた。

母は父と離婚して、H主任と再婚するものだと思い込んでいた。母はH主任に会うたびに『主人と離婚したら、Hさんと再婚できるわね。娘も独立させることにしたの。ねぇ、いつ此処に引っ越してくればいい?』と聞いた。H主任は曖昧に笑って、ハッキリとは答えなかった。

母はそこで初めて、自分の将来が不安になったようだ。
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そんなある日のこと。

私が会社から帰ってくると、家の中は真っ暗だった。電気を点けると、居間で母が放心状態で座り込んでいた。

『何かあったの?』と私が聞くと、母は呻くように『Hさんに騙された。』と言って、ワアワア泣き出した。
(2018年4月30日23:00)