私が高校を卒業し、短期大学に進学する頃になると、母からの嫌がらせが始まった。

どんな女の子でも、そのくらいの年頃にはそれなりに綺麗になる。あくまでもそれなりに...だが。社会人になる子もいれば、進学する子もいる。一般的に、お洒落に目覚めるのは高校を卒業した18歳くらいではないだろうか。

私が短期大学に進学し、周囲に合わせて身なりを整えるようになると、母からの精神的な攻撃(口撃)が始まった。

『子どものクセに色気づきやがって...。』
『ガキのクセに生意気だ。』
『若いだけで、アンタなんか全然魅力がない。調子に乗るなよ。』

毎日のように嫌味を言われた。

”お母さんは私に嫉妬しているんだ。お母さんは【女の価値は若さ】だって思っているから、自分より若い女は自分の娘でも許せないのね。本当に幼稚な人。”

母は身近な人間の中で、自分が一番でないと気が済まないのだ。H主任の奥さんの事は『生理があがっちゃったババア』と馬鹿にして、自分の娘は『若いだけで気が利かない女』と扱き下ろす。

母は私の部屋を漁り、私の日記帳だけでなく、当時お付き合いをしていた男性から貰った手紙等も勝手に読んでしまう。私が抗議すると『親が子どもの日記や手紙を読んで何が悪い!親の家にいるうちはプライバシーなんかないと思え!』と逆ギレする始末だった。

母は〈自分と娘は違う人間〉で〈娘にも人格がある〉という事を、全く理解していなかった。

その頃の私が一番嫌だったこと、それは...母がデートの度に、私の洋服を無断で着ていってしまうということだった。

母と私の身長は156cmと同じなのだが、当時、母の体重は68kg、私の体重は41kgだった。体型が全く違うのだ。さすがにスカートはサイズが合わない(ウェストと腰回りが入らない)ので母も諦めたようだったが、Tシャツやカットソー、ニット等はデートの度に勝手に着ていってしまう。母が着ると洋服が伸び切ってしまう上に、私の大嫌いな甘ったるい香水の匂いが付着してしまい、もうとても袖を通す気にはなれなかった。それに...H主任がその洋服に触れたと思うと、それだけでどんなに気に入っていた洋服でも汚らわしいとしか思えなかった。だから、母がデートに着ていった私の洋服は、母の物になってしまうのだった。デートは毎週日曜日と決まっていたから、週に洋服1枚は母に横取りされていた計算になる。

母は娘の洋服を身に着けて『アンタよりもアタシのほうが似合ってるわ。』とご満悦でデートに出かけて行く。

私は現在、その時の母と同じくらいの年齢になったが、20歳くらいの女の子が着るような洋服を着ようとは思わない。

年齢に合わない【若作り】は、見ていて痛々しいという事を知っているからだ。
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私は家で母といるのが苦痛だった。

だから、母とあまり顔を合わせないようにする事にした。

毎日のように夜遅くまでアルバイトをした。お金を貯めて一刻も早く家を出る為だ。短期大学は授業スケジュールがタイトで、1時限目(9:00)から6時限目(19:30)まである。私は取れる単位はすべて取ることにした。それでも、授業スケジュールの都合上どうしても授業と授業の間が空いてしまったり、突然休講になってしまったりして数時間の空白が出来てしまう事がある。そういう時は、学内にある図書館で本を読む事が多かった。読書は手軽な現実逃避の手段だったからだ。また、電車に乗って江ノ島まで行き、何時間も海を眺める事もあった。海を眺めながら将来の事について思い悩むことも多かったが、海を見ているとどこまでが海でどこまでが自分なのか、境界が曖昧になる。海と自分が融けていき、悩みさえも波にさらわれて何処かへ消えてしまうような錯覚にとらわれた。

私の子どもの頃からの夢は【家を出て自由になること】だった。あともう少しで、その夢が叶う。しかし、あの母がすんなりと私を自由にしてくれるとは、到底思えなかった。母はいつも私の大事な時に、邪魔をするのが生きがいなのだから...。

週末はアルバイトの他に、当時お付き合いをしていた人と会って、なるべく家に帰らないようにした。

父の仕事が減り、以前のようにお金が入ってこなくなったのはその頃だった。

ある夜の事だ。珍しく父が家に帰ってきて、母に家にいくら貯金があるのかと聞いた。資金繰りが苦しいから、家の貯金から少し出してほしいと。母は『貯金なんか全然していないわよ。』と言って開き直った。父は驚いて、通帳を見せるようにと母に言った。通帳を見て父は愕然とした。

『毎月50〜70万円も渡していたのに、そのお金は一体どうしたんだ?!』

母は不貞腐れて『知らないわよ。知らないうちにお金が無くなっちゃうんだからしょうがないじゃない。』と吐き捨てた。

その後の調べで、契約していた生命保険も保険料を滞納して失効していること、国民年金保険料と健康保険料も数年単位で未払いになっていることが判明した。(ちなみに、高校受験の時に受験料が勿体無いから公立高校1本しか受験させないとか、中卒で働けと言ったのは学資保険を解約して使い込んでしまっていた為だというのもその時にわかったことだ。)

父は完全に母に愛想を尽かした。

そして父は私に〈母には必要最低限のお金しか渡さないこと〉〈私の学費の心配はしなくていいこと〉〈何か必要な物があったら父に直接言うように〉と言って家を出ていった。

自由に使えるお金がなくなった母は、私にこう言った。

『学校なんて行っている余裕は、もう家にはないのよ。S子が学校を辞めれば、その分の授業料をお父さんから引き出せるじゃないの。S子はまだ若いんだし、ちまちまコンビニやファミレスでアルバイトなんかするよりも、もっと稼げる仕事があるじゃないの。風俗で働いて家にお金を入れなさい。なんなら援助交際だってかまわないわ。彼氏とやっている事と同じことをするだけで、お金が稼げるのよ。若いっていうだけで女はお金になるんだから、その特権を利用しなきゃ損よ。』

『お母さん。今、自分が何を言っているのかわかっているの?』

『なによ...冗談じゃないの!本気になっちゃって馬鹿みたい。S子って本当に頭が固いんだから、嫌ね。』

『言っていい冗談と悪い冗談があるって知らないの?お母さんって本当に最低。』

その後、何度もこの会話は繰り返された。

母は私が不幸になるのを願っているのだ。

毎週日曜日に母は不倫相手のH主任と会いに行く。その時はいつも着飾って、豪華なお弁当を作って持っていく。そのスタイルは絶対に変えなかった。『デート費用(洋服代やお弁当の材料費)が足りないからお金を貸して。』と言って、私からお金を借りる事もあった。私が嫌だと言うと、母は手が付けられないほどキレた。『オマエみたいな冷血な娘なんか産むんじゃなかった。』等と言って。厭味ったらしく、給料日に私のアルバイト先にお金を借りにきたことすらあった。他人がいれば、私が断りづらいのをわかっていてそういう事をするのだ。

”娘からお金をむしり取ってまで、不倫相手に会いにいく。こんな女は、もう母親でもなんでもない。鬼畜ね。”

私は真剣に【母を私の人生から退場させること】を考えるようになった。
(2018年4月28日23:00)