子どもの頃から繰り返し同じ悪夢にうなされている。その悪夢は『真夜中の森や山の中で遭難し、外部へ出られなくなる』というものだ。
その時によって細かいシチュエーションは異なるが、徒歩や自動車で移動しても何度も同じ場所にたどり着いてしまい、山や森の外へ出ることが出来ないというところは共通している。

登場人物は基本的に私だけである。真夜中の森というのは、本能的にとても”嫌な感じ”がするものだ。何処にどのような危険が潜んでいるのか、まったくわからないからだ。

偶に森の中で見知らぬ人物ーそれは老婆だったり、若い男性や小さな子どもだったりするーに出会うことがある。

そんな時の私は、その人物に自分から声をかけることはほとんどない。

同じ種族に出会った安心感よりも『相手から何をされるかわからない』といった類いの、非常に強い恐怖を感じるからだ。
ちなみに、昨夜の夢の内容はこうだ。

真夜中に一人で自動車を運転して山道を通っていると、急なカーブに差し掛かった。

そのカーブは工事中で、深夜だというのに作業員数名が道路の舗装工事に従事していた。

私は気味が悪くなり、作業員達を避けて通り抜けようとしたのだが、道路が大きく削り取られていたせいでハンドル操作が利かなくなり、カーブを曲がりきれずガードレールを突き破り、崖下まで落ちてしまった。

...と思いきや、大した落差ではなく、柔らかい畑の上だったので、幸運にも怪我もなく車体に損傷もなかった。私はそのまま運転を続けて(!)畑を通り抜け、なんとか山道に出た。

そのまま山道を走り続けていたが何かがおかしい。先ほどまで山を下っていたはずなのに、急な上り坂が続いていることに気づいた私は、次第に大きくなる違和感にアクセルを踏むのを止めた。目の前の坂は45%はありそうな急勾配で、私の運転している自動車では登りきれそうになかったからだ。

サイドブレーキを思いっ切り引いて車外に出ると、月明かりが周囲を照らしていた。東京生まれで横浜育ちの私は、主人と結婚して群馬へ来るまで、月明かりがこんなにも明るいということを知らなかった。

17年前の私は、こんな当たり前のことも知らなかったのだ。もしかしたら一生知らないままでいたほうが良かったのかもしれない。そのほうが、私はずっと幸せだった。

この坂道は急すぎてとても進めそうにないから、違う道を探そう...そう思い車内に戻り、別のルートを検索して行くことにした。目的地なんて最早どうでも良かった。

一刻も早く、この暗くて不気味な山道を抜けて『ここではないどこかへ』行かなくては。

私はアクセルを踏み続けた。

しばらくすると、カーブに差し掛かった。

そのカーブは工事中で、深夜だというのに作業員達が舗装工事に従事していた。

私の背中を嫌な汗が伝った。

作業員達を避けて通り抜けようとして、ガードレールを突き破り...を6回ほど繰り返した。

7回目にそのカーブに差し掛かった時、私は車を停めて車内へ出て、勇気を出して作業員に声をかけることにした。作業員達の中には、若い女性もいたからだ。

「すみません。道に迷ってしまって...山を出て麓の町へ行くには、どうしたらいいですか?」

その若い女性作業員は、私が声をかけているにも関わらず、まったく意に介さずといった感じで、一瞥もくれずに作業を続けるばかりだった。他の作業員も皆、同じだった。

その時、私は気づいてしまった。

ー私は既に死んでいるということを。

私は死んだことにも気付かず、生きているつもりだっただけなのだ。

それにしても...死んだ後も意識があるということは、なんと残酷なことなのだろうか。

私はこの暗い森から、永遠に出ることは叶わないのだ。

夢は潜意識在的な思考で、深層心理が反映されているという。

私は日常的に他人を観察したり、分析したりしているが、自分自身のこととなるとサッパリわからない。

この記事を読んでくれた方に、私の潜在的思考及び深層心理を客観的に分析して欲しいと切実に思う。