記録も18になった


本当は毎日書くつもりやったんが

体調不良になったりして書けなかって


けど色々思い出すにはええ時間かな


いつしかそう思ったのは確か


前回は副会長の若い衆になったとこまでやったかな?


当時は山口組もまだ三代目時代の終わり


当時の三代目の親分と言うと


もう完全に雲の上の人


顔を拝むことすらできない人


俺のオヤジ(親分)となった人は


その三代目の親分の若い衆の舎弟


オヤジの親分は徳島のドンと呼ばれた人(書いてええんやろか? 笑)


だから当時は結構徳島には行った


なんか近所走ってるような感覚で徳島の道は覚えた


その後あの忌まわしい山一抗争が


三代目が亡くなったあと四代目問題で山口組がふたつに別れてしまった


その前やったんかな?


当時徳島の会長とこの舎弟さん(俺のオヤジの兄弟筋)のところの頭(当時)とこが


一本独鈷の組織と揉めた


ここも老舗の組織


うちには直接関係無かったが…


当時の俺の兄貴筋(本当は兄貴分なんだけど…そう思いたくない人 笑)の人に言われて


その組の組織を偵察に行った


もちろん丸腰で(何も持たずに)


俺の兄弟分があの辺の道をよく知ってたから


ある程度は見れてどこがどこの組


どう行ってどう抜ければとかを偵察した


その時最後のとこで警察に職質を


当時の四課のデカはごっつかった


どっちがヤクザかわからんぐらい  笑


しつこく聞かれたな〜


何しにこんなとこ来とんや〜


美味い寿司屋があるからそこ行くとこや〜


そんな話を長々としたん覚えてる


まあもっと厳しい喋りやけど…


けどうちのオヤジはこの抗争には関係すな!


そう言われた


なんやこのオッサン


そう思ったぐらい


俺らはちょうど血の気の多い年代


いつでも行くでー


その気持ちだけは持ってたのに


この頃は本部の頭がうちの事務所に泊まりがけで


うちの組に何も無いようにと来てくれてた


頭が毎日泊まりで来てると俺らは当然家に帰れない


2〜3週間分の着替え持って事務所に泊まりになった


抗争の小競り合いはまだ続いてた


たぶん死人は出てなかったけど双方に何人かケガはしてたと思う


その時兄貴筋の兄貴分


俺は兄貴と読んでいたが


なぜなら俺の最初についた人の兄弟分だから


その人から声がかかった


いわゆる鉄砲玉みたいなもん


頭らの目を盗んで


撃つ練習を


その後本当は俺は運転手で良い


兄貴の従兄弟と兄貴が撃つ


そうなっていたが


あの辺の道は俺はあまり詳しくない


もし抜け道失敗したら一発でパクられる


それで選手交代で兄貴と俺が弾く役に


弾くと言っても事務所を狙う


それだけ


けど何故かこの時は緊張しなかった


兄貴が看板撃って俺が事務所のドアを撃つ


けど俺の射撃技術が悪かったのか


動いてる車やからやったのか


事務所の窓ガラスへ3発直撃  笑


人に当たって無かったのが幸いやったんかな? 笑


そのまま兄貴の従兄弟の運転ですぐ逃げた


どっかの喫茶店やったんかな


そこでメシ食うてコーヒー飲んで


その時に兄貴の言った言葉に俺はこの人に心酔した


もしパクられたら俺の名前出せ


俺に言われて運転した


そう言え


大阪府警の調べは鬼よりキツい


キツさで自殺未遂した者も何人も居る


そやから俺の名前だしたらええ


少しは楽になるからな


そう言われた


この兄貴分


他では借金でメシ食うとるとか評判は賛否両論


けど俺はこの言葉でいっぺんに魅かれた


兄貴 俺も極道の端くれでっせ


そんなんで人売ってたらこの先メシ食えまへんやん


そんな取り調べごときで泣き入れることおまへん


そう言い切った


実際この事件は深夜やったし目撃者少なかった言うことでお蔵入り


パクられることなく助かった


これはうちのオヤジや頭にも誰にも内緒でという事で行ったこと


後に何人かにはバレたが 笑


けど俺には初の抗争事件に関わったこと


今でもよく覚えてるな〜


これで俺もひとまわりもふたまわりも大きくなった気がしたのも事実


この後に四代目問題が起きて


山口組が割れたんやな



この続きはまた次回へ






これは載せてええんやろか  笑


三代目親分と後に俺のオヤジとなった人