大女優ヴィヴィアン・リー主演の、とても有名な作品。

正直、前半だけで終わってたら「ふーん」だったと思う。
後半まで見て考察したら観て良かったと思う作品だった。
と言いつつも映画としての完成度で言うなら前半の方がずっと高くて、
前半だけにした方が纏まってたと思う。

後半(特に終盤)、展開が駆け足過ぎるだろ。
打ち切り前の週刊連載並みの詰め込みと急展開に、感情移入する前にポカンとしてしまいました。

けど、前半だけなら単なる贅沢ワガママ女の話と言われても何も言い返せない気がしてしまう。
後半がある事でスカーレットに人としての深みが出たと思うし、
善悪抜きにして彼女の存在に強烈な引力が生まれたんじゃないかと感じます。

前半のスカーレットは、お金持ちのお嬢様なだけでなく強烈な美貌の持ち主で、全てにおいて苦労を知らない。
なので人の痛みもわからない。
思い通りにならなければヒスる暴れる、自分が傷ついたからと愛してもないのに恋敵の兄と結婚する等まあ酷い。
そういった振る舞いにどこかしら納得もしくは共感できる要素があるならまだしも、
ワガママが通らず駄々こねてる子供にしか見えず呆れるだけ。
(ただ、レット・バトラーが惚れるのは妙に納得でした。
私がクラーク・ゲーブルに「甘えたで病み気質の女性をコントロールするのが好きそう」という偏見を抱いているからでしょうか)

ですが後半のスカーレットは、前述の通り善悪抜きに強烈に惹かれてしまう何かを持っていたんじゃないかと思います。
その何かが多分、どん底に堕ち、地べたを這いつくばってでも生き延びる姿勢から生まれる強烈な引力なのかなって。
「みっともなくても周囲に嘲られても、絶対に私は生き抜く!すべきことをする!」みたいな。
そういう人って否応なしに人の目を惹きつける気がして。
強烈な分すごく嫌われることも多いけど、同時に愛される時もすごく愛される。
身近にいたら嫌だけど、とにかく気になってしまうだろうなと。

前半のスカーレットは正直言って後半ほど気にはされないと思います。
もちろん類稀な美人さんだから一般人よりは遥かに注目されるだろうけど、
結婚したら、若さがなくなったら(ダイレクトに言うと異性に対するセックスアピールが失われたら)誰にも相手にされなくなる短期限定の人、みたいな。
同性が彼女を見る目も、(同年代とか直接的に迷惑をかけられる立場の人以外は)なんだかんだで「若いうちが華よ」的余裕があったんじゃないかな。

けど後半のスカーレットって、良くも悪くもこちらが飲み込まれそうな勢いを持ってます。
しかもその影響力が身体的なものじゃなく精神的。こうなると同性も異性も年代も関係ありません。
食うか食われるかですもん。これはコワイぞ。身近にいたら逃げたくなる存在。

個人的には、後半のスカーレットが脱走兵を撃ち殺すシーンで、メラニーがスカーレットを責めたりしなくて良かったと思います。
それやったらメラニーが一気にありがちな薄情キャラになってしまうし。
むしろ冷静にテキパキと「隠しましょう!」なんて言ってて良かった。
ただこれも、前半にスカーレットが文字通り命がけでメラニーを救ったからこそですよね。嫌々だったとはいえ。
「過程があって結果がある」、そんな当たり前が自然に描かれていて好きでした。

過程すっ飛ばして結果・結果・結果!結果ありき!みたいな作品、私は萎えちゃう。狙ってやってるなら良いんだけど。
描きたい・魅せたいシーンがあるのは当たり前なんだけど、過程を無視してそればかり頑張られるとなあ。
かといって過程ばかり大事にされても冗長でこれ飽きちゃうし。
この辺は好みの要素が大きくて自分と監督との相性もあるんだろうなあ。

終盤はそんな感じで視聴者置いてけぼりで萎えました。あれは尺の問題だったのだろうか。

なんだかんだ言っても、こうやって真剣に考えちゃうんだから未完成さ含めてこの作品の魅力なのかもしれません。

「完全なものに美はない、不完全なものにこそ美があるのだ」
こんな感じの台詞をどこかで見たのだけど(土神と狐だったかな?)、
確かに少々の荒さや不完全さがある方が観る側を強烈に惹き込むのは感じます。

創作含めなんでもそうだけど、「アベレージ80」より「0か120か」の方が楽しいっちゃ楽しいんですよね。ギャンブル的な落差の魅力かなあ。
かといって前者が軽視されちゃいけないし、後者が不当に低評価なのも良くない。
うまいところ両者どちらも大事に、良いところ取りしていきたいものです。