年末に放送されている、ガキ使の笑ってはいけない24時間。
僕もガキ使が大好きなので毎年見ています。
ご存知かと思いますが、笑ってしまった人はケツバットを食らうという簡単なルールで、とても面白いですよね。
デレーン
マツモト、アウトー
松本さん「なんでおれやねぇぇぇん!!」
パコーーーーン!!
松本さん「あ゛あ゛あ゛あ゛ぁぁぁぁぁあ!!」
もはや、紅白と並ぶと言っていいほど、年末の風物詩となっていますよね。
しかし、罰ゲームのケツバットがいじめの原因になるため、廃止になるのではないか?
と、言われているらしいです。
なんでも、いじめっこグループが、先生や周囲に「いじめじゃないのか。」と指摘されると、
「罰ゲームです。」と言って言い逃れをし、
それがエスカレートして、罰ゲームで万引きまでさせるのだとか。
どうやら、罰ゲームという考え方そのものがまずいらしいんです。
なにかしらのルールを破ったら、恥ずかしいこと、辛いことをさせられる、という考え方。
これがいじめを助長してるんだとか。
僕はそうは思いませんが。
そもそも、あのシリーズは、最初は趣旨が違ったんですよ。(脱線ぽいですが帰ってきます。安心してください。)
そもそも、初期の頃は罰ゲームが吹き矢ですからね。笑
やってる本人達は、ガチで嫌なんですよ。
今の罰ゲームよりも遥かに。
つまりなにが言いたいかというと、
笑ったら罰ゲームを与えて、苦しむ姿を楽しむ
のではなく、
ガチで笑いたくないけど、我慢するほど、緊張感があるほだ、笑いが込み上げてくる
のを楽しむ
って趣旨だったんです。
あくまでも僕の主観ですが。
番組の前のナレーションで一応言ってますね。
それがいつの間にやら、特に笑いを我慢しない、ショーのようになってしまったんですね。
(これは松本さん本人が仰ってます。)
要するに、結局は見る側の意識なんだと思います。
「真似されるとまずいから、責任取れないから、 過激なものは自粛する。」
のではなく、
「テレビ側は責任なんか取らない。見る人が正しいかどうかを判断しなさい。」
って考え方のほうがいいと思うんです。
だってね、エスカレートして万引きて(笑
そんなやつ、ケツバット知らなくても同じことやるでしょ。
なにかを発信することを規制するよりも、受け取る側の取捨選択の能力を鍛えるべきなんじゃないのかなぁ。
インターネットがスマホで見れちゃうわけですから。
規制するのなんかハナから無理な話だと思うんです。( ´Д`)y━・~~
臭い物に蓋を
の原理を使ってると、その臭いものが
納豆なのか?
塩酸なのか?
ウン◯(自主規制)なのか?
判断できなくなるじゃないですか。
臭かったけど、食ってみたら美味いかもしれないし、🍴
栄養満点かもしれない。
不味かったなら、次は食わなければいいだけの話でしょうに。
(塩酸飲んだら死んでしまうので、もちろん事前にしっかり調べることは必要ですが。)
まとめると、
PTAとか色々うるさい。
うん。
どうせ浮気とかしてるんでしょ?
どんな顔して子供と接してるのよ。
なぁ??
。。。
。。。。。
これはいいか
まとめると、子供のためを思ってるんだろうけど、規制しすぎも結局は子供のためにならないんじゃないの?
って話です。
僕は無駄な規制はしていきたくないです。
ダメと言われても、無理と言われても、やりたい事はやります。
プラスでもマイナスでも、変化のある方へ歩いていきたいなぁ。
どんなマイナスでも、考え方ひとつでプラスにできるんじゃないかなぁ。
おわり。