故 殺さえし神の身に生れる、物は頭に蚕生り、二つの目に稲種生り、二つの耳に粟生り、鼻に小豆生り、陰に麦生り、尻に大豆生りき。
播磨国風土記《讃容群)
讃容という所以は、大神妹妋二柱各競ひて国占めましし時、妹玉津日女命、生ける鹿を捕り臥せて その腹を割きて その血に稲種きき。仍ち 一夜の間に苗生ひき。廼取りて殖えしめまき。
あるいは、殺された神の身体から穀草が生えるという発想も 動物の死屍などの有ったところに種を蒔けば それが肥やしとなってよく発芽して育つという実体験を踏まえていたのかもしれない。 22頁
『殺害する神様を否定するまい』という縛りに捉われてたのかも
違和感を繋ぐのがやっとだったのかな
蚕、繭の中身を食べてたかもって指摘
昆虫食あって当然。
現今、 肉食より叶ってるように見えます。