BS1スペシャル 幻の巨大空母 “信濃” | 寅月

寅月

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信濃
導入は、75年前信濃の乗組員だった方のインタビュー。

 名前は信濃、 航空母艦です。
これはその姿を捕らえた唯一の写真です。
よく見ると甲板上には大勢の人が映っています。

 太平洋戦争末期 日本海軍が 劣勢を跳ね返す切り札として 戦艦から改造、当時最新鋭の空母でした。
昭和19年11月29日 何と初めての航海で信濃に魚雷が命中
  「穴が大きいの開いとったよね すごい大きな穴だもん」当事者
不沈艦と呼ばれた信濃 僅か4本の魚雷で沈没してしまいます。

悲劇の真相に迫ります。   ナレーター 増谷康紀

全長266メートル 公試排水量:68,059トン(当時世界最大)

 通信課に所属 飛行甲板で通信機器の整備の仕事をしていました。
元乗務員 蟻坂四平さん
高角砲12,7センチ2連装が結構ついてましたね そのあいだに3連装の機銃が これも結構ありましたね。

 対空装備はこれまでの空母に比べはるかに多く、機銃の数は戦艦に匹敵するものでした。
そして空母の最重要部分 飛行甲板は 長さ256メートル
敵の攻撃を受けても戦闘能力を失わないように
コンクリートで表面を覆い その下に分厚い鋼鉄が敷かれています。

木村昇吉さん当時17歳
 通信課
鉄板がねえ 10センチの厚さ 
その上に 木挽糠ととコンクリートと砂で混ぜたものを 復10センチくらい。
「空からの爆弾は 絶対大丈夫だ」と事が、言われていた。

そして船体にも分厚い装甲が・・


昭和19年11月28日 午後10時30分
信濃がざわつきはじめます。
敵潜水艦を発見
当時 館内各所からの情報を艦橋に連絡する役目だった垣戸さん 垣戸博之さん

ちょうど相模湾の沖の方だったかな 
「右前方に敵艦らしきものを発見」というのが第一声だったね

岩瀬栄さん
敵がいたっていう情報ですから 船はがぜん緊張しましたからね 全体が



                内務長・三上治男中佐
                    見張員が右舷艦首前方に、正体不明の物体を視認しました。
艦長・阿部俊雄大佐   
艦長 阿部俊雄大佐
 うむ いるな。 右舷八から九海里あたりだ。見えるか? 
 海士 安田督少尉航海士 安田督少尉
                        潜水艦のようです、艦長。 輪郭がそのようです。     
 

艦長 阿部俊雄大佐
       誰何しろ           - 信濃は発光信号を送りますが 応答なし。
          そこで 荒木通信長が駆逐艦による砲撃を提案したところ
                通信長:荒木勲中佐           
 
艦長 阿部俊雄大佐
            撃つな!一発も撃つな そんなことをすれば こちらが軍艦だと知らせるだけだ。
        本艦の任務は、「信濃」を無事呉に回航することにあり、敵潜を攻撃することではない。
 

                    2時ごろ交信を傍受している。 
                   『近海にいる』 が 場所は分らない。
 
◇ ◇◇◇◇
 90分の番組中 12,3分
見たかった。   
ケーブルテレビの方で録画しときゃ良かった。

 
           合理性なんて抽象化だから どこにでも何にでも 行えちゃうんやろうね



■軍律で参謀が裁かれることはない。
ただし、司令官によって革職されることは日常茶飯事である。

日本の参謀は天皇の官吏であって身分が守られていた。
日本では加えて、参謀本部や司令部という組織ののなかで互いに庇いあい、責任を免れようとする。

そのうえ参謀は戦後になって戦史そのものを書いて、『公刊戦史』や「秘密戦史』を刊行する利権をもっている。
これもドイツ参謀本部の伝統であり、英米では第三者に委任する。
 
参謀たちは作った作戦計画を自画自賛し、失敗を将兵に帰する。 

381頁


              人の活動の限界なんかしらねぇ
秀でてると思える人々が秀でていられる状況って そうそう広くないらしい。
その他大勢が省力するつもりで えらいコストをはらってしまうものなのかも