久しぶりの更新です。

実母の介護も今月で9年目になります。

東日本大震災からもうきょうで11年になるのですね。

 ロシアのウクライナ侵攻の映像がTVのニュースで毎日流れます。
痛ましい映像を見るたびに、あの国の軍隊が満州にいた日本人を襲った時のことが、
私の生まれる前のことなのにリアルな映像を見ているように現実味を帯びてくる。

惨劇はまた繰り返されている。

私の母は77年前、満州に両親と共に行っておりました。

突然ソ連(今のロシア)の兵隊が攻めてくると大人たちから言われ、
逃げる途中にある場所で戦車から追いかけられたそうです。

まだ8歳の少女だった母は戦車からの砲撃の中を走って逃げたそうです。


77年前もあの国の軍隊は民間人の子どもまで標的にしていました。



母は逃げながら遠ざかって行く自分の母親(私の祖母)の姿を必死で追いかけたそうです。

砲撃に倒れる人々の間を縫うように、走ったそうです。

「お母さんは私をを放って逃げた。」と後に恨み言を言っておりましたが、

(怖かったのでしょうね)


でも私は思うのです。

もしも祖母が自分の娘を探したり、手をつないで逃げていたら撃たれていたのではないかと。



「津波てんでんこ」とは三陸地方で生まれた防災標語です。

三陸地方は明治の頃からだけでも三度の大津波にあっているのだとか。

「津波てんでんこ」について薄情だと感じる人もいるでしょうが、
過去の大津波で家族を助けに戻った為にどちらも助からなかったという

悲しい出来事が、この土地に暮らす人々には語り継がれているのでしょう。