砂漠と星空 

サンテグジュペリのほとんどの作品の背景には砂漠が存在している。
彼にとって砂漠とはどのような意味を持つのでしょうか。
彼が初めてに砂漠へ行ったのは1927年の春。
郵便機のパイロットとして働き始めた時にサハラ砂漠に不時着し、
賊の襲撃に怯えながら恐怖の一夜を過ごした時。
二度目はサハラ砂漠にあるカップ・ジュビーの飛行場長として過ごした13ヶ月間。

三度目はパリ-サイゴン間87時間の飛行記録に挑戦し、リビア砂漠に墜落。
五日間歩き続けて救助された時。

この三回の砂漠での経験が
彼のその後の人生や文学に重要な影響を与えることになったと言われている。

満天の星空の下の孤独な砂漠で彼はいったいどんなことを考えたのだろう?



J'ai toujours aimé le désert. 

On s'assoit sur une dune de sable. 

On ne voit rien. On n'entend rien. 


Et cependant quelque chose rayonne en silence...

 僕はいつも砂漠が好きだった
砂丘の上に座る
何も見えない    何も聞こえない
それなのに
静けさのなかで何かが光輝いているんだよ

『星の王子さま』 第24章


1998年にジブリの宮崎駿監督が
カップジュビー飛行場まで南仏からプロペラ飛行機で訪れました。
 宮崎監督がようやくたどり着いて見たその飛行場は
もう砂に埋もれてしまって廃墟となっていました。

 砂と空…。

本当にそれしかない世界を前にして、
サンテクジュペリが体験した感覚を
一瞬のうちに理解し、
共有できた監督は
子供のように泣いていたそうです。

「サンテクジュペリに一番影響を受けたんですよ、僕は」
 
彼が追い求めて、表現してきたもの。
それを確かめることができて涙が止まらなかったのでしょう。
 
宮崎監督はこの旅を経験することによって
映画を作り続ける意志が芽生えたそうです。
ジブリ作品のDVDにはいつも日本語と共に英語ではなく、
仏語が入っている理由がやっとわかりました。

 
念願のサハラ  報知新聞 1998/03/17
昨年12月、報知映画賞の特別賞に輝いた際に『もののけ姫』を作ったことで脳ミソの変なところを開けてしまったんです。回復するまで6か月はかかりますね」と語り、一時は“引退宣言”も口にした宮崎監督が復活。新作の準備に入った。
 きっかけは鈴木敏夫プロデューサー(49)とともに2週間、パリからモロッコのカップジュピーまでを飛び回った空の旅だった。宮崎監督主宰の「スタジオ・ジブリ」の“ジブリ”とはサハラ砂漠に吹く熱風の意味。社名に冠したものの、実際にサハラを訪れたことがなかった2人は「『もののけ姫』が一段落したら、サハラに行く」と決めていた。
 念願の旅だけに内容には凝った。最高で時速200キロしか出ない「紅の豚」そっくりの複葉機(旧ソビエト製)を用意。パリを出発してスペインに入り、ジブラルタル海峡を越えてモロッコへ。パリ~ダカール・ラリーで有名なダカールの北、カップジュピー(モロッコ)までトータル50時間以上かけて飛んだ。
 「高度100メートルの低空飛行をしたり、前を重くするために乗客全員が機首部分に集まったり大変でした」と笑う鈴木プロデューサー。実は宮崎監督のあこがれが「星の王子さま」で有名な仏の作家サン・テグジュペリ。この旅は本来、飛行士だったテグジュペリが飛んだ道のりを、そのまま再現したものでもあった。
 2週間の旅を終えた宮崎監督は「数々、外国に行ったけど、この旅が最高でした。ものすごくリフレッシュできたし、やっと『もののけ姫』に決着が着きました」。世間を騒がせた引退宣言も、この旅で完全撤回。 2001年公開を目指す新作のシナリオ、絵コンテに近々、着手する決意も固まった様子だった。