昨年の秋、イングリッドから3~4通目のメールを受け取った後でしょうか、
年齢と名前しか知らないこの異国の娘さんが夢に出てきました。
彼女は後ろ姿でしたが、何と私はセーヌ川の岸辺を彼女と歩いていたのです。
「顔も知らないあなたが夢に出て来たわ。」というと彼女はとても喜んで、すぐに写真を送ってくれたのでした。
その時はまさか自分が翌年フランスへ行くなんて、そして彼女の家に滞在するだなんて夢にも思っていませんでした。
義父母が高齢ですし、長男の嫁ですし、外国に行くことなんてもう一生ないだろうなぁと漠然と考えていました。
ですが、今思えば予知夢でした。
ほんの二週間前、本当にセーヌの川岸を彼女と歩く私がいたのです。
また、彼女の家に案内された時、リビングには小さな未熟児の赤ん坊の写真が飾られており、私はその写真に釘づけになりました。
彼女は妊娠六カ月の早産で生まれ、きょうだいは亡くなり、一人だけ生き残った双子の赤ん坊だったのです。
私も長女と長男の間に双子の男女の赤ん坊を亡くしています。
まだ妊娠五カ月だったので助けてあげることはできませんでした。
その後すぐに男の子に恵まれましたが、双子ではありませんでした。
マリーズにそのことを話すと彼女はとても驚き、私達は手を握り合ったまま、経験した者にしかわからない悲しみや痛み、子どもに対する贖罪の気持ちを、国を超え、言葉を超え、共に分かち合ったのでした。
長男とイングリッドは、ほぼ同い年。
起きてすぐに寝ぼけた顔で私の部屋にやってくるあどけない顔のイングリッド。
睫毛の長い大きな瞳は我が子(長女)に本当によく似ており、
愛おしさが募りました。
愛おしさが募りました。
育ててあげられなかった大切な娘がフランスに生まれ、
ここで大切に育てていただいているような、そんな気持ちになってしまったことをマリーズに打ち明けたところ、彼女はそのことを深く理解してくれました。
だんだん私もマリーズのフランス語に慣れ、マリーズはマリーズで私の下手なフランス語に慣れ、イングリッドがリビングにいない時はふたりで色々な話をしました。
フランスを訪問することで、インターネットではどうしても探し出すことのできなかった同世代のフランスの女性とこうして心の交流を持て、友人になれたことを心から嬉しく思いました。