La Mosquée de Paris

第一次世界大戦でフランスに味方したイスラム教徒を称え、フランス政府の援助で1922年から4年をかけて建てられたのだとか。礼拝堂の内部には、信者しか入ることはできないそうですが、美しい中庭や回廊を観光客が見学で
 きるようになっているとのこと。



実はこのモスクはナチス占領下のフランスで、
ユダヤ人達をイスラム教徒たちがかくまっていた場所なのです。

parimo



『パリのモスク』

ユダヤ人を助けたイスラム教徒たちについての貴重なドキュメンタリー映画です。
今年の夏に上映されました。もとは絵本だったそうです。

1940年から44年にかけて、パリはナチス・ドイツに占領され、ユダヤ人はいつ拘束され強制収容所に送られるかと恐怖のうちに暮らしていました。
ユダヤ人だけでなく、ドイツ人以外のすべての人々の自由が制限される中で、ユダヤ人を助けようなどと、危険な行動に出る人などほとんどいないように思われる時代でした。
そのような時にユダヤ人をかくまい危険なパリから脱出させるため力をつくしたイスラム教徒達のドキュメンタリーです。

1942年7月16日の未明、フランス政府はフランス国籍をもたないユダヤ人の大量拘束を実行しました。
パリでは、警察が市バスに13000人のユダヤ人を拘束して積み込みました。その大部分は女性と子どもたちでした。
なぜなら、男性が拘束されるという噂が流れ、男たちは身を隠していたからです。
13000人のうち、2歳から16歳までの子どもが4000人もいたそうです。
翌日にもフランス政府による拘束は行われ、7月のこの2日間に拘束されたユダヤ人は、ほんのわずかの例外を除いてアウシュビッツへ送られ、殺されました。

アルジェリア移民の労働者が住まうパリの貧しい宿屋から宿屋へ、小さなメモが回され、字の読める男たちによって読み上げられていました。そのメモがチュニジア人が経営するパリのカフェに残っていました。
ナチス占領下のフランスで、イスラム教徒たちはこのメモの言葉を胸に刻み、ユダヤ人達を助けたと言われています。

「昨日未明、パリのユダヤ人は拘束された。
老人も女性も子どもも。
私たちと同じに異郷の地にあり、私たちと同じ働く者たち。
彼らは私たちの兄弟。
かれらの子どもたちは私たちの子どもも同じ。
その子たちの一人に出会った者は、不幸や悲しみの続く限り住みかと保護を与えるべし。
我が同胞よ、あなたの心は寛容である」


「パリのモスク」の英語字幕を作りアメリカで上映してこられたアネット・ヘルスコビッツさんは、このメモのことばを読む度に涙がこぼれるそうです。
彼はフランスに生まれ現在はアメリカ合衆国在住。
1943年、4歳のとき、彼の両親はアウシュビッツに送られ、そのまま戻って来なかった。


北アフリカや中東の多くの地域では、何世紀もの長い間、ユダヤ人とムスリムは平和に共存していたと言う。