さよなら子供たち
銃声の聞こえない戦争映画ってのも、けっこういい作品であることが多い。
静かな展開で、要所要所に戦時ならではのエピソードが入ってくる。
そして戦時ならではの哀しい出来事に皆が涙する・・・・。
(邦画でも「瀬戸内少年野球団」っていう名画がありましたが)
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「さよなら子供たち」
(1987年 西独・仏 監督:ルイ・マル
出演:ガスパール・マネス ラファエル・フェジト)
マル監督の自伝だそうです。
第2次大戦中のドイツ占領下、フランス人のマル監督は
戦火を逃れてパリの東南アヴォンの町にあるカルメル会修道士の寄宿学校
「幼きイエスの聖テレーズ校」で過ごされたそうです。
かなりの裕福な貴族階級に育った彼の
「40年間たっても、忘れられない一日」の出来事を
淡々と描いています。
(プロット)*****
主人公ジュリアンは、「バケーション」がおわり
パリから兄とともに寄宿学校に戻る列車に乗る。(母親に溺愛されてますな(^ ^))
学校には、ジャン神父(責任者というか、校長というか、ここで一番偉い人)
の連れて来た数人の新入生がやってくる。同じクラスにボネという生徒が入る。
ジュリアンは、リーダー的な存在。ジャン神父からも
『ボネと仲良くしなさい。君を皆が真似するから・・・・』と言い含められてリもします。
ボネは、数学や作文、各教科で優秀であった。ジュリアンは、彼に興味を持ち
そこは子供ならではのよさで、すぐに仲良くなる。
森の中での「宝捜し」で森に取り残された2人は
親切なドイツ兵たちに学校に送られるのだが
その出来事以来、ジュリアンとボネとは「親友」となっていく。
ボネは戦火を逃れて来たユダヤ人だった。
ジュリアンたちは、空襲下に2人でチャールストンを連弾したり、
深夜アラビアンナイトをこっそり読んだり・・・・。
ごくごく仲の良い2人の平穏な学校生活が送られる。
(映画教室?で『チャップリンの移民』が映写されるのですが
無声映画に『ピアノ教師たちの生演奏』が重なって、こういうのもいいな~っ!(^^)でした。)
やがて学校にナチのSSがやって来る。
『ユダヤ人狩り』である。密告があったのである。
学校にはジョゼフ(戦争孤児)という調理の手伝いの少年がいて
学生たちの仕送りされた食料なんかと『物々交換』しながら色んなモノを調達していたが
それがバレ、学校にいられなくなったのである。
行くあての無い彼が親独派たちに密告したのだ。
ボネは自分の運命を知っていたように、静かに荷物をまとめ、去っていった。
ボネたち3人のユダヤ人は、SSに連行されて行った(ユダヤ人収容所へ・・・・)。
彼らをかくまったジャン神父も一緒である。
ジャン神父は生徒たちに声をかける。
『オールヴォワール、レザンファン』フランス語を知らないので?ですが
タイトルの言葉だそうです。(再会を前提としての別れの言葉)
この神父さんは実際の人物でジャック神父(リュシアン・ビュネル)。
ユダヤ人を大勢かくまっていたようです。この映画もあって、フランスでは有名になりました。
戦時下の寄宿舎生活を中心にすえた展開で、淡々と日々を描いていますが
そのぶん余計に「突然の別れ」が哀しく響きます。
ルイ・マル監督ならではの、美しい映像が印象に残りました。
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フランスの片田舎アヴォンにあった男子校の3人のユダヤ人生徒が、
1944年2月6日、アウシュヴィッツのガス室で殺された。
三人の名と歳は??
Hans-Helmut MICHEL 13歳
Maurice SCHLOSSER 15歳
Jacques HALPERN 17歳
3人はそれぞれ、ジャン・ボネ、モーリス・サバチエ、ジャック・デュプレと名乗り
偽名のもとにこの学校の寄宿生になっていた。三人の家族は既に収容所にいた。
3人を匿ったのは、校長だったジャック神父。
1944年1月15日土曜日、ドイツ軍は密告から3人を捕らえた。
ドイツ軍の兵士が学校を包囲し、ゲシュタポが校内に踏み込んだ。
ジャック神父も捕らえられた。
ジャンとモーリスとジャックの3人はムランの刑務所に送られ、
ジャック神父はフォンテーヌブローの刑務所に入れられた。
その後、3人は2月にアウシュヴィッツに運ばれた。
選別ののちにガス室に(通説による)
3人の少年を匿ったジャック神父は3月まで刑務所にいた後、移送されてグーゼン収容所に入れられた。
米軍によってここは1945年5月5日に解放された。
栄養不良のために衰弱していたジャック神父はリンツの病院に収容されたが、6月に死亡。
遺骸はアヴォンに戻され、カルメル派修道院の小さな墓地に埋葬された。
3人の少年たちの墓は他のユダヤ人と同様に墓は無いそうである。
(あくまで当地の通説:ガス室云々はまだ検証されていない)