先生が、さらなる検査を提案してきた時点で、ある程度の覚悟は必要だったのかもしれません。
でも、その頃の私は、
「まさか、私ががんになるなんて、ありえない。」
「そんなこと、あるわけないじゃん。」
と、思うことしかできませんでした。
長い針を使った生検で、一度、「悪いものではない」という診断もされています。
なので、今回の検査は、前回の診断を確固たるものにするためにしたんだ。
先生の悪い勘を、払拭するための検査だったんだと、思うようになっていました。
怖かったんだと思います。
もし、がんが見付かっても、毎年健診を受けていたんだから、初期のものであって欲しい。
そして、もし手術することになっても、息子の大学受験が終わるまでの猶予が欲しい。
検査の結果を聞きに行くまでの、2週間。
私の気持ちは、段々とネガティブなものに変わっていきました。
がんになるなんて、ありえない → もし、万が一がんでも、初期であって欲しい → たとえ初期でも、すぐに手術って言わないで欲しい
と、短い間で、変わっていったのです。
大きな音がして、太いドリルのような針を使った、あの検査の名前は、何だったのだろう?
「針生検」でいいのかな?
「針生検」の結果は、『がん』でした。
やはりというか、何というか。
「悪いものではなさそう」って、先生が言ったんじゃん!
「市に返事が出来ないから、一応、検査しておきましょうね。」って、言ったのは何だったの?
でも、そんなことを先生に言っても、がんであるという結果は変わりません。
むしろ、粘って、さらなる検査を提案して、がんを見付けてくれた先生に、感謝をしなければなりません。
そのあとは、手術に向けて、がんを知るための検査、「CT」と「MRI」の予約を取って、その日は帰りました。
その日の夜、母から電話がありました。
両親には、市から「要精検」の通知がきた時から、検査の経緯は言ってありましたので、心配していたのでしょう。
私は一言、「あったよ。」と伝えました。
母は、ショックだったでしょう。
母は、私以上の心配性です。
会社の社員さんには、通院の当初から相談をしていました。
検査や診察のために、仕事を休んだり、早退していましたから。
その方は、女性の社員さんで、私が唯一、この病気のことを包み隠さず、ずっと話してきた方です。
その社員さんにも、結果の出た翌日に、検査の結果と入院・手術になることを伝えました。
旦那に伝えるまでには、数日かかりました。
旦那には、市の健診に引っかかったことすら、伝えていなかったからです。
子供達には、しばらく伝えないと決めていました。
子供達は、私が検査のために、時々、病院に行っていることは知っていましたが、病院の名前はもちろん、詳しくは話しませんでした。
すべては、息子の大学受験と発表が終わってからと思っていたので、そうしました。
次回の診察は、手術の執刀医となる主治医の先生との、初対面となります。