義母が搬送された病院の救急外来へ着くと、そこにはパジャマ姿の義父もいました。


軽い認知症のある義父を、家に一人では置いておけないと、義母が救急隊員の方に頼んだのか、救急隊員の方の判断なのかは分かりませんが、義父も一緒に救急車に乗せて、病院まで連れてきてくれていたのです。

救急外来の部屋で、パジャマ姿とサンダルでちょこんと座っている義父は、どうして自分が病院にいるのか、分かっていたのかは分かりませんが、病院に着いた私を見ても、何を言うのでもなく、大人しく座っていました。


そして、義母の腕は、やはり折れていました。

顔を合わせた義母は、疲れた様子で、私に「ごめんなさいね」と謝っていました。


その頃、旦那が単身赴任先から到着したと思います。

旦那は、私が連絡をしたときに、「こんな時間に非常識だ」と、一度は声を荒げましたが、ここに来て、事の重大さをやっと理解したのか、病院に到着してからは、その事には一切触れませんでした。

でも、本来なら、触れるべきです。
触れて、「悪かった」と言うべきだと思います。
でも、自ら、そんなことを言う人ではありません。

誰の親なのか、誰のために私が動いてるのか、そういうことを、これまでも、旦那は分かってないように思うことがありましたし、自分の親の事でありながら、時に、他人事になることがあったように思います。


義母が骨折をしてしまった今、私達に出来ることは、義父をこの後どうするかということでした。

義母は、このまま入院になるし、いずれ手術になる。
でも、入院してしまえば、病院にすべてをお任せすることになるので、ある意味、心配は要りません。

でも、義父は、一人には出来ないのです。


まず、旦那を義父と一緒に、実家に帰らせました。
パジャマ姿の義父をこのままにしておくわけにもいかないし、病院にいても、夜中ですから、出来ることはあまりないのです。

そして、おそらく、義父もショートステイに行ってもらうことになるので、身の回りのもの、着替え、薬などをできる限り用意しておくように、旦那に言いました。



こういうとき、判断のスピードを求められるとき、私の頭はフル回転します。

私でも、出来ること。
旦那にしか、出来ないこと。

それを、判断するのは、いつも私です。
こういうこと、旦那は出来ないんですよね。
いつも、指示待ちです。

きっと、小さな頃から、家庭の中の実権を義母が握ってて、自分の事ですら、判断させてもらってなかったんじゃないかな?


思い返してみると、その前からも、義母は私達に、自分の考えに従わせようとしているときがありました。
そういう性格なんでしょうね。

でも、そうしないと、生活が成り立たなかったのかもしれません。
義父は、大人しそうな方でしたから。