新鮮ですこぶる美味なホヤと、埼玉県ではまず見掛けない地酒を堪能した青森市の夜。

明けて朝イチで青森市内の三内丸山遺跡に行ってみました。

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この日本の国に、1万年も続いた縄文時代の、縄文人が築いた古代の集落が三内丸山遺跡です。

1万年ですよ、1万年。

今年は明治維新から150年。

世界の歴史上、1番長く続いた安定政権は徳川幕府の江戸時代の265年ですから、1万年て、我々人間には計り知れない時間の長さですよ。

人間のリアルな時間の感覚は10年、100年がせいぜい想像の及ぶ範囲でしょうか。

1万年も、淡々と粛々と、縄文時代の人々は日々重ねて来たのかなあ、って思っただけで何だか安らぐ様な不思議な気持ちになります。顔の系統から行くと俺は間違いなく縄文系なんで、それで奇妙か安堵感を縦穴式住居に見出だすのか(笑)

縄文時代と言うと例の縄目の付いた土器、縦穴式建物、はにわ、勾玉、狩猟採集民族、ロン毛男子みたいなイメージが有りますが、栗の木を植えて簡単な植物の栽培を行い、数学的な長さの単位を持ち、建築技術に優れ、漆の技法で弓等の猟具や加工品に防腐効果や強度を持たせ、ワンコを飼い、その人生においても独特の死生感を持って居た人達だった様です。

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↑6本柱建物跡。35センチを基準にする「縄文尺」と呼ばれる単位で構成された建物の実物大複製で、実際はこれに屋根が付いてたんじゃないか?とか屋根無しの祭壇だったんじゃないか?とか未だに結論が出て居ない不思議な建造物。確かにこれだけ見ると中途半端に見えて、何に使ったんかなあ、縄でも着けて、縄文時代の子供のアスレチックかねえ~…この実物大複製は大林組の仕事だそうです。


縄文時代に既にこの青森市の三内丸山では富山や北海道と交易して居たそうです、ボランティアのガイドさんが教えてくれました。富山からはヒスイを、北海道からは道具の補強や接着剤として用いるタールを求めて居たそうです。

但し縄文の人々は文字と言う後世に史実を残す伝達手段が無かったので、状況証拠からの現代人の推測で彼らを捉える事しか出来ません。

岡本太郎が愛して止まなかった縄文時代の人々や文化。

三内丸山遺跡でそれを感じ取る事が出来ました。

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↑新天地を求めて旅立つ縄文の若者のイメージマネキン。何故三内丸山の集落が滅びたかは諸説有りますが、南方からの新勢力に駆逐された説をガイドさんは教えてくれました。新勢力に屈して統合される集落、新勢力には従わず、解散し新天地を求めた人々、色々なケースが有ったのかも知れませんね。