八郎潟に着くと風は止み湖はベタ凪ぎだった。

以前は日本で2番目に大きな湖、それも日本海に近接した汽水湖で豊かな漁場でもあった八郎潟は、戦後の食糧難の時代に当時の内閣総理大臣佐藤栄作の強い推奨によりオランダ人技術者を招聘して……今の感覚じゃ有り得ない位、乱暴だよなあ……日本で2番目に大きかった八郎潟の回りに土手を築いて、巨大な水路とポンプ設備により、2年以上の長い歳月をかけて湖の水を排出し、東京23区が丸ごと入る位の広大な干拓地、要するに湖の底を陸地にして農地化してしもうた(°Д°)
私も勘違いしてましたが、どっかから土を持って来て湖を埋め立てたのでは無く、周囲を土手で囲って中の水を抜いたんですって……(´Д`)

まあ、言うならば秀吉や石田三成の土手を築いて城内に水を流し込む水攻めの逆ですなあ。

下の画像はかつては湖の底だった所に田畑を作り、木を植え、道路を通し、自治体まで作った戦後の日本人の執念の足跡と言えますね。確かに日本では北海道の道東がこんな感じですよね、内地の地形では無い。

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↑こんなストレートの砂利道が何本も在り、エンドが遠過ぎて見えない、つか地平線になってる

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↑海からの強い風をしのぐ為に、道路の両側に防風林。ここも延々と10キロ近く真っ直ぐ。

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やはり作物は米がメインです。広いです。

景色は特殊性を帯びて居ます。「ツーリングマップル」にも「ここは日本か?!」とある程、ある意味凄い。元在った湖に人口の土手を造り、真ん中の水を抜いて陸地化して居るので、現在の八郎潟は真ん中の陸地を囲む様に水路が有ります。お城を囲むお堀の様にです。その水路に魚が住んで居る。

水路と言ってもその幅は数百メートルから最大5千メートルに及びます……

知れば知る程、何か人工的過ぎて八郎潟切なくなって来る(;´д`)

だのでルアーを10分も投げずに終了し、今日は青森県の鯵ヶ沢にある、白神山地の核心部分に近い構成を持ち、尚且つ散策する事が出来る「ミニ白神」へ行く事にする。

当初の旅の目的地が、何だか得体が知れず、落ち着かない場所であった。そして、八郎潟までやって来て釣果はZERO……(´Д`)