3月になると気分も大分明るくなりますね。3月になればもう気分は春。
俺の中では真冬は12月1月2月。
事実・雪とか降るし今年はやたら寒いけど暦の上では3月ですよ最早こっちのもんだよ。そういうもんだよ。
てな訳で、トラのエンジンに火を入れ、勝手知ったる秩父に行ってみました。
老舗のとんかつ屋さんですが、初めて行きました。正統的な「とんかつ屋さん」でナポリタンとかは在りません。かつサンドとかオムライスも無いス。
揚げ物と豚肉のしょうが焼きやソテーのみ。カツカレーは在りました、勿論今や秩父名物の「わらじカツ丼」もございます、因みに俺はカツ丼は玉子とじ派です。わらじカツ丼てそんなに美味いですかねえ(笑)
綺麗なとんかつですね、味も油こくなくてサッパリしております。
俺は高校生の頃、今もR140沿いに店を構えるとんかつ専門店「とんかつ錦」で毎日バイトをして居ました。1986年辺りで時給430円でした。店休日の木曜日以外毎日4時間以上バイトをして、高2の夏休みに24回ローンでヤマハSRX-4を新車で買いました。
当時は空前のオートバイブームで、若年層の事故も多く、オートバイの免許は校則で取得は出来なかったのですが、クラスの何人かは校則に背いて勝手に中型二輪免許を取ってました。
免許が有ればオートバイに乗りたくなるのが人情てものです。皆乗ってましたね、GSX-R、FZ、RZ、GPZ、皆、当時のカタログ性能至上主義の高性能バイクで、非力なビッグシングルを新車で買ったのは俺だけだったな。俺は当時から「別冊モーターサイクリスト」を愛読する嫌なガキで、レーサーレプリカがゼロヨン何秒とか筑波タイムアタック何秒とか、峠小僧みたいなんとは一線を引いておりました。まあ文学系放浪ライダーの最初のハシリとでも言っておこうか。その勘違いのまま高3の夏休みに一人で北海道ツーリングに出掛けたり、会社を辞めて日本一周に出掛けて鳥取県で事故って足を骨折して米子総合病院に入院したり、またぞろ会社を辞めてこんだ転ばないだろうとユーノス・ロードスターで日本一周したりと寄り道ばかりの人生になって行く訳です。
その頃、同級生達は当たり前の様に親に金を出させて、ヘルメット等の装備も新車の高性能バイクも買って貰ってましたね。よく親も出してるよなあ、オートバイなんてアブねえモンに何十万円も(笑)
当時の俺は、何処かで俺とそーいう連中とは違う…と思ってました。
部活もバイトもせずに、楽して親に自分の命を載せる乗り物を安易に提供して貰って、それで良いのか?と。
オートバイって親に買って貰って、安易に流行りで乗り回すものなのか?と。自分の命を載せる乗り物位、自分で稼いだ金で買えや!と。
今は全くそうは思いません。金は天下の回りもの、お金はその時に持ってる人が持たざる人に払ってあげれば良いのです!!(笑)
しかしこの高校生の頃のオートバイ経験とアルバイト経験は、確実に俺の思考の根幹の一部になりました。親は「子供に与えない(与えられない)」場合でも当然、子供は手探りで自分の人生勝ち取れるものを選択していくのです。実は選択は無限に見えて有限なのです。
大分話が脱線しましたが、俺が知る限りはとんかつにおいて秩父市内の美味しいお店は、わらじとかそーいうご当地グルメは除く「リアルとんかティスト」の為のリアルなとんかつ店は件の「とんかつ錦」と西武秩父駅近くの洋食屋さん「エデン」と今回の秩父神社裏路地の「とんかつキング」かなあ。
俺はフリッターで揚げるお店はちょっと嫌なんですよ、やはりとんかつ屋は鍋に油を入れて、パン粉を投入して油の温度を見て欲しいのです。フリッターはコンビニ店員が便利にコロッケを揚げる道具と言う考え方です。
荒川の河川敷の水溜まりに、多分アカガエルとおぼしきおたまが居て嬉しくなりました。
俺の中では真冬は12月1月2月。
事実・雪とか降るし今年はやたら寒いけど暦の上では3月ですよ最早こっちのもんだよ。そういうもんだよ。
てな訳で、トラのエンジンに火を入れ、勝手知ったる秩父に行ってみました。
老舗のとんかつ屋さんですが、初めて行きました。正統的な「とんかつ屋さん」でナポリタンとかは在りません。かつサンドとかオムライスも無いス。
揚げ物と豚肉のしょうが焼きやソテーのみ。カツカレーは在りました、勿論今や秩父名物の「わらじカツ丼」もございます、因みに俺はカツ丼は玉子とじ派です。わらじカツ丼てそんなに美味いですかねえ(笑)
綺麗なとんかつですね、味も油こくなくてサッパリしております。
俺は高校生の頃、今もR140沿いに店を構えるとんかつ専門店「とんかつ錦」で毎日バイトをして居ました。1986年辺りで時給430円でした。店休日の木曜日以外毎日4時間以上バイトをして、高2の夏休みに24回ローンでヤマハSRX-4を新車で買いました。
当時は空前のオートバイブームで、若年層の事故も多く、オートバイの免許は校則で取得は出来なかったのですが、クラスの何人かは校則に背いて勝手に中型二輪免許を取ってました。
免許が有ればオートバイに乗りたくなるのが人情てものです。皆乗ってましたね、GSX-R、FZ、RZ、GPZ、皆、当時のカタログ性能至上主義の高性能バイクで、非力なビッグシングルを新車で買ったのは俺だけだったな。俺は当時から「別冊モーターサイクリスト」を愛読する嫌なガキで、レーサーレプリカがゼロヨン何秒とか筑波タイムアタック何秒とか、峠小僧みたいなんとは一線を引いておりました。まあ文学系放浪ライダーの最初のハシリとでも言っておこうか。その勘違いのまま高3の夏休みに一人で北海道ツーリングに出掛けたり、会社を辞めて日本一周に出掛けて鳥取県で事故って足を骨折して米子総合病院に入院したり、またぞろ会社を辞めてこんだ転ばないだろうとユーノス・ロードスターで日本一周したりと寄り道ばかりの人生になって行く訳です。
その頃、同級生達は当たり前の様に親に金を出させて、ヘルメット等の装備も新車の高性能バイクも買って貰ってましたね。よく親も出してるよなあ、オートバイなんてアブねえモンに何十万円も(笑)
当時の俺は、何処かで俺とそーいう連中とは違う…と思ってました。
部活もバイトもせずに、楽して親に自分の命を載せる乗り物を安易に提供して貰って、それで良いのか?と。
オートバイって親に買って貰って、安易に流行りで乗り回すものなのか?と。自分の命を載せる乗り物位、自分で稼いだ金で買えや!と。
今は全くそうは思いません。金は天下の回りもの、お金はその時に持ってる人が持たざる人に払ってあげれば良いのです!!(笑)
しかしこの高校生の頃のオートバイ経験とアルバイト経験は、確実に俺の思考の根幹の一部になりました。親は「子供に与えない(与えられない)」場合でも当然、子供は手探りで自分の人生勝ち取れるものを選択していくのです。実は選択は無限に見えて有限なのです。
大分話が脱線しましたが、俺が知る限りはとんかつにおいて秩父市内の美味しいお店は、わらじとかそーいうご当地グルメは除く「リアルとんかティスト」の為のリアルなとんかつ店は件の「とんかつ錦」と西武秩父駅近くの洋食屋さん「エデン」と今回の秩父神社裏路地の「とんかつキング」かなあ。
俺はフリッターで揚げるお店はちょっと嫌なんですよ、やはりとんかつ屋は鍋に油を入れて、パン粉を投入して油の温度を見て欲しいのです。フリッターはコンビニ店員が便利にコロッケを揚げる道具と言う考え方です。
荒川の河川敷の水溜まりに、多分アカガエルとおぼしきおたまが居て嬉しくなりました。