過日、熊谷市久下の荒川河川敷に今もなおその痕跡を残す集落跡、新川村を訪れました。

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物流が船の往来で支えられていた日本の中世、この場所は舟運で大変に栄えて居たそうです。
大きな運搬船が舟溜まりに数十と在り、物流の大店が軒を連ね、500人程の人々が暮らして居たそうです。現在なら熊谷駅みたいな感じでしょうね。

この新川村を最後の村人が去ったのが昭和47年。
以来、田畑を耕す人だけがこの地を訪れるのみ。
砂利道と電柱、水田、用水路とまるで昭和40年代がまんま残って居ます。

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集落を歩き始めた当初、懐かしい気持ちで楽しかったのですが、やがてかつての栄華を誇った豪商、豪農の跡地を見るに、もう竹林やら雑木林やらに侵食され、人間の営みの痕跡はほぼ無し。

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※神社の鳥居も度重なる大水で土砂が堆積し、埋没。この奥には社殿があるそうですが、竹林が凄まじく全く外から見えません。


ナウシカの腐界に侵食された文明の跡地の様でした。人間はやはり植物には勝てませんな!

これからの人口減少の日本、ひいては福島第一原発周辺の町や村。

最後は色々な事が頭を過り、複雑な気持ちで彼の地を後にしました。こういう場所がゾロゾロ出現する訳です。

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この美しい水田もTPPで壊滅が予想されます。末端価格10キロ700円でまあまあのお米が買えたら、外食産業等、全て外米にしてしまうでしょうね。

今後、数十年で日本の国体は更に様変わりするんでしょうね。