先日、あの東日本大震災から1000日が経ちました。

当店でも毎月11日には、私自身が黒いワイシャツを着用し、電灯の灯りを落とし、蝋燭の灯りで被災地に思いを馳せ、喪に服して営業していましたが、日常の忙しさにかまけて、あれ程の災害の事実が私の中で忘却の彼方へと連れ去られつつあるのです。恩知らずのキラー・カーンとは私の事です。

時間の経過とは、人の暮らしにおいて、ひとつの薬でもあり、また経過した時間と事実は、人がその先へどう進むか、学ぶべき点は数多いと聞きます。

2011年より、会津若松方面へ旅をする事が増えたのは、やはりどうせなら東北地方へお金を使いたいと言う義侠心と罪悪感からなる気持ちで、しかし未曾有の大災害が、私にとっては福島と言う土地の素晴らしさを再認識させてくれたのです。

事実はひとつでも、例えそれが悪い事でも、その捉え方はひとつで無い事は確かな様です。

私は現在の平穏な日常の中で、あの2011年3月11日の翌日の朝、近所のスーパーに鮮魚が並んで居た事の有り難さ、一匹のアジが大平洋から熊谷まで淀みなく運ばれて来た事実に、あの日ある種の感慨を感じた事を忘れてはならない気がします。

皆が晩のおかずに好きな魚を選んで買える事は、稀有な幸せなのだと思います。

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※ 熊谷の鮮魚店「魚竹」さんにぶらりと立ち寄りその日の旨そうな魚を選んで買うのは私の密かな愉しみです。

この日は鯵と秋刀魚が余りにピカピカだったので通常の「一菜一汁」を破りおかず二匹になってしまいました(-_-;)