イメージ 1

 
 お正月に帰省・・と言っても僅か1時間の行程ですが、92年式ロードスターで実家に帰りました。


 恒例化しつつある、高校の同窓飲み会に参加したり、その一両日は慌ただしく過ぎ去りました。


 実家へ帰ると・・、そう、実家へ帰るとすぐ横になりたくなるのは何故でしょうか?


 自宅には無いこたつ(一昨年から自室のこたつは撤去した)に久々に肩まで浸かり、自動的に出て来る
 お茶、お茶菓子、みかん、テレビガイドや新聞に目を通しつつ、自宅には無い衛星放送の上質な
 自然観察や風土記的な番組を見る時間、それは素晴らしいものです。


 私は最近、母親には敬語で接しています。


 私は生来、父親を知らずに育ちましたが、やはり自分の親は何時まで経っても親であり、尊敬すべき
 対象で有ると、恥ずかしながら40を過ぎて自覚しました。親は越える対象では無く、ひたすら
 ただそこに有り、無私の愛情を注いでくれた、子供にとって有り難いものだと思う様になりました。


 私が母親にとても感謝して居るのは、母が私に殆どの干渉をして来なかった事です。


 母親が私に無関心であった訳では無いのです。いちいち口出しせず、まあ大抵、緩く育てて頂き
 ましたね。


 小学生の頃、登校拒否気味になった時も特に何も言わず、私の仮病を「信じる振り」をして居ました。


 学校に行きたくないものだから、母親が担任に欠席の電話をし終えると「これで今日は嫌な学校に
 行かなくて済むぞ」と嬉しくなるのですが、母親や祖母が働きに出掛け、家に誰も居なくなった
 10時位になると、子供ながらに「ずるい事をしたな」と布団の中で後悔の念が生まれてくるの
 です(笑)


 そんで次の日位は自発的に登校して、まあ優等生にはほど遠いんですが、小学校なんてそん位で
 そのうちキチンと行く様になりました。


 グダグダと小言を言って子供の尻を引っ叩き、無理やり登校させる方が取りあえず親としては
 安心だし、楽です。子供のタイプによってはその方が良い場合もあるのでしょうが、私は母親の
 有る種の「太陽政策」により、「自己反省」を学び、ズルして楽しても結果、あんまり楽しく
 ないんで、皆が通ってる学校なんだから最低限のお付き合いはしなくちゃなあ、という「諦観」
 も子供ながらに学んだ気がします。


 高校2年の時に勝手にバイクの免許を取り、更に勝手に母親の名前でSRXをローンで購入した時も、
 峠道でクルマと正面衝突した時の事故処理も、そのバイクを直す足しにするから修学旅行代を現金で
 くれと言った時も、高校3年の夏休みに「俺の修学旅行じゃ」と言ってSRXで北海道に行った時も、
 全て私の好き勝手にやらせてくれました((+_+))


 しかも毎日バイトはしていても高校生ですから、基本的に母親の経済的な庇護の元に好き放題に
 やって、生意気な事を言ってる訳です。これだけでも母親の寛容さ、偉大さが解ります(笑)


 息子に無関心なんですが、有る意味での信頼関係でしょうなあ、「私の息子は今はしょうもないが寸止
 めでやり過ごすであろう」と言う(笑)悪に染まりきる根性や度胸は無いだろう、と言う(笑)


 まあ祖母によれば、私の母親も若い頃はかなりしょうもなかったらしいので、母親にしても諦めて
 いたのも良かったんでしょうね「自分の子だから、しょうもなくてもしょうもない」と。


 会津藩校の日新館の什の掟「しょうもないものは、しょうもないものです」

  
 同窓飲みの後、帰宅したら塩っぱい汁モノが食べたくなり、母親にインスタントラーメンを
 作って貰いました。煮え過ぎていて、余り美味くも有りませんでしたが、またこたつに
 座ってぼんやりして居ると布団を敷いてくれ、お茶とテレビガイドと新聞が自動的に出て来ました。


 ありがたいものです。