先日、統一地方選挙が行われました。熊谷市では市町村合併後、初めてです。
「市町村合併」の目玉のひとつが議員と市職員の削減でした。合併するなら効率化を図ろうと。
これは全く市民を裏切る話なんですが、熊谷市においてはコストダウンどころかコストアップ。
妻沼町、大里町、江南町、熊谷市、一番高い報酬を得て居たのが熊谷市でしたが、市町村合併で
全部の職員の給与を、一番高い熊谷市に合わせてしまった。江南の職員でほくそ笑んでる人を
ぼかぁね、二人知ってる。そりゃあそうだいね、会社が合併して、小さい所が大きい所の給与に合わ
せて昇給、なんて話は、民間企業では有り得ないからね。
それと議員報酬ですが、2006年9月「NPO構想日本」の調査では日本には2万1222人の
市会議員がおり、彼等が1年間に使う税金は一人平均で952万円です。
内訳は・・・。
議員報酬 549万円
期末手当(ボーナス)204万円
政務調査費 82万円(領収書の提出義務は無い、もしくは1万円以上から)
費用弁償・補償費(交通費など)48万円
共済費 79万円
合計 952万円(これが市会議員の年収です)
これが平均で、市町村でバラつきがありますが、熊谷市は上記とほぼ同じ内訳の様です。
で、2008年「開かれた議会をめざす会」による市会議員様の仕事振りの内容の調査を見ると・・・
1年間の議員による、条例案の提出件数→0(ゼロ)の議員・・・・・89,8%
1年間の議員による、一般質問の割合→43,5%・・・・・半分の議員は1年を通して質問
すらしない。
これで一千万プレーヤーってどうなん?しかも熊谷市にまだ32人も居るんですよ。
今、あの震災に乗じて消費税を上げる、震災税を作る、と言う議論が「亡国の徒」達により議論されて
いますが、国債剰余金という云わば埋蔵金がある事が解りました。その額10兆円だそうで。
現状に良く似た災難の話があります。こんな話です。
1657年、江戸の8割を燃えつくす大火事がありました。通称「振袖火事」
この大火災の時、即座に機敏な行動で江戸復興を成し遂げたのが老中・保科正之(ほしな まさゆき)
です。
この人は三代将軍徳川家光の側室の子供で、会津藩祖、後に四代家綱を補佐した老中です。
大火が起きてすぐに江戸城に詰め、不眠不休で陣頭指揮を執った。
大火で困った江戸の人に幕府の貯蔵米を与え、幕府の財産も潔く全て放出したと言います。
勿論、幕府内から反対意見はありました。「やりすぎだ、いいカッコしいだ」と。
しかし保科はそんな意見に一歩も退かず、「こういう時にこそ幕府の蓄えを下々に与えるべきで、
むざむざ積立て蓄えて置くだけなら、蓄えなど無いも同然である!!」と言い放ったそうです。
まあ~~~日本にもリーダーシップが取れて、まず一番困ってる人を助ける、と言う普通の感覚
を持った政治家が居たのです、300年位前までは。
それが被災、原発、停電で給料の激減りが予測される民衆から、なおも税を取り立てようって腹は
全体どういうコッチャ。
保科の爪のアカでも飲みますか。科学や工業が発達しても、人間の業、欲、そういうのは全く
変わらない。政治家には歴史から学ぶものが多いんじゃないですかねえ。