5月24日、プロレスラーのラッシャー木村さんが亡くなった。68歳。


 私が初めて木村さんを見たのは今から25年以上前の新日本プロレスのリングである。
  

 所属していた「国際プロレス」が経営難から崩壊し、その所属選手はアントニオ猪木率いる
 「新日本プロレス」かジャイアント馬場率いる「全日本プロレス」に移籍する事を余儀なく
 された。
  

 どうやら当初、国際プロレスの大多数の選手は猪木の新日本プロレスのリングに上がり「新日対国際 
 対抗戦」的な感じになる予定だったようだ。新日本プロレスとの契約内容等に不満を持った殆どの
 選手が馬場さんの全日本プロレスに移籍してしまい、実際元国際プロレスで新日本プロレスのリング
 に上がったのは木村さんとアニマル浜口、Jrヘビー級の寺西勇の三人だけとなりトーンダウン。
  

 子供心にも猪木の3人に対する扱いは酷く「猪木対国際プロレス3人の変則マッチ」など一気に
 一試合で3人を片付ける「強い猪木」が数シリーズテレビに映し出されていた。
  

 仮にも、国際プロレスでエースだったラッシャー木村に、そういう扱いをする猪木って言うか新日本
 プロレスって、嫌な感じですよねえ・・・。


 猪木は「格の違い」ってのを見せたかったんだろうけど、思い出すと会社が潰れ、部下2人となんと
 か新天地で存在感を見せようとしていた、元エース、ラッシャー木村の不器用な仕事に胸が痛みます。 
  

 しかし結局、その部下2人も当時人気絶頂の長州力に付いて行ってしまい、木村さんはこれまた猪木の
 命令で新しいプロレス団体、いわゆる第一次「UWF」に参加している。 
 

 第一次UWF。
  

 初代タイガーマスクの佐山サトル、前田 日明、藤原嘉明、木戸修、高田 延彦などバリバリの
 格闘スタイルの選手の中、頭突きと金網デスマッチが得意の「悪役レスラー」ラッシャー木村が
 何故か居る。
  

 騙されてるよ~~~~猪木に!!
  

 結局、木村さんは第一次UWFでは試合をしていない。その後馬場さん率いる全日本プロレスで
 元国際プロレスの剛 竜馬(故人)と鶴見五郎と組み「国際血盟軍」を作り馬場さんと抗争を地味に
 繰り広げていった。テレビにも、ちっとは馬場さんとの抗争劇が映っていた。
  

 そんだら件の長州力が全日本プロレスに仲間を率いて参戦し、木村さんの国際血盟軍はテレビに
 全く映らなくなってしまった。次シリーズの予告にのみ出ていたか。なんとも間が悪いのである。 
   
 

 お若い皆さまが木村さんを知っているのは晩年の「マイクパフォーマンス」のコミカルな木村さん
 でしょう。
  

 しかし、大相撲出身、ビクトル古賀にサンボを師事していた「ラッシャー木村」は実はガチでやっ
 ても相当強かったそうだ。ただし、「格闘スタイル」を封印していたのは「自分のプロレススタイル
 には必要ないから」だそうで、猪木にハメられた形になった第一次UWFで試合をしていたら案外
 違うラッシャー木村が出現していたかも知れない。 
   
 

 引退後は脳内出血で車椅子生活となり、公の場所は勿論、前述の鶴見五郎やアニマル浜口のお見舞い
 もガンとして断っていたと言う。「強い」プロレスラーの弱った姿を、ファンはおろかかつての仲間 
 にすら見せないと言うダンディズムだったのだろう。
  

 そんな木村さんが去年亡くなった三沢光晴の告別式には車椅子で現れた。「三沢には格別、お世話に
 なったから」と言って。
  

 04年で引退していた木村さんだったが、最後の所属団体だった「プロレスリングNOAH」の
 ポスターには顔写真があった。
  

 ファンの「木村さんは今でもNOAHの所属選手なんですか?」の問いかけに生前の三沢光晴はこう
 応えたと言う。 

 「ラッシャー木村はNOAHの終身名誉選手会長であり、今後もNOAHの所属選手であり続けます」   

 何という優しい言葉だろうか。病床の木村さんはこの三沢の言葉にどんなに励まされただろうか。 
  
 

 決して平坦でなかった木村さんのプロレスラー生活の終の団体がNOAHで本当に良かったと思う。
  

 犬好きで酒好きで、悪役で本当はガチも強くて暖かい人柄だったラッシャー木村。木村さん。
 
 

 謹んでご冥福をお祈りします。