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 朝青竜のガッツポーズがまた問題に。
  

 優勝したのが余程嬉しかったのか、パレードでもはしゃいでいた。
  

 よくモンゴル人だから日本人の精神世界を理解出来ない、という意見を聞くが、朝青竜の精神
 世界はなんら日本人と変わらず、我々日本人の多くと同様、感情表現がアメリカっぽくなって
 るのだと思う。
   

 「嬉しい時には笑え」
  

 「悲しい時には泣け」
  

 単純な米国的感情表現が色々な所で多く見られる。 
  

 何しろ、純国産人の多くの柔道家も、勝てばガッツポーズである。
  

 武道とスポーツは違うものだが、柔道はメジャー化の代償としてスポーツ化している。
  

 「一本を取りに行く」これは相手の「命」を取りに行く、と言う事なのだ。  
 

 そしてそれは、殺める相手が苦しまずに済む様、技を磨き、瞬間で殺すと言う対戦相手への
 「情け」それが「一本を取りに行く」武道家の心構えだと思う。
  

 元来、「試合」とは「死合い」の意味で命のやり取りを意味した。
  

 それが柔道の姿勢であったが、近年はポイントを積みかさねて勝てば良い、というスポーツ化が
 進み、なんだか道着を着たアマレスの様だ。
  

 白い道着は「死に装束」を表し武道家の心構えを表したもの。青くしちゃあその意味が無い。 
  
 

 だから負けた相手・・つまり形式上であっても自分が殺した相手の骸を前にガッツポーズなど
 取れる訳がないのだ、その意味を理解していれば。 



 相撲も然り。力士の「士」は侍の「士」なのだ。 
  

 メジャーに打って出た野球の野茂が、ノーヒットノーランを達成した瞬間、「ヨシッ!」と小さく拳を
 握ったのを覚えている。偉業達成の瞬間のあの慎ましい表現を、ひとつ負けての「場所優勝」を 
 果たした「だけ」で大はしゃぎの朝青竜は、見たらどう思うだろうか?  
  


 
 ボクシング、大阪の試合で外国人チャンプに判定負けしたカメが協会に不服、異議を申し立てるそう
 だが、彼等親子は自分達の今までの行いを省みた事が無いのだろうか?  

 
 アウェイでの判定負けならまだしも、地元大阪での判定負けじゃあブッチギリで「負け」でしょう。
  

 自分達は好き放題に振る舞い、立場が悪くなるとすぐに「権利」を行使しようとしてくる。
  

 先日、私が高速道路で見かけた珍走団と同じだ。違法改造バイクが壊れたら、その時は市民ヅラして
 管理会社のクルマに平気で助けを求めてくる・・・。 
 
 

 アウトローを気取るんでももう少しね・・・ツッパらないと見ていて悲しいよ・・・。 
  



 故・三沢 光晴は勝ってもガッツポーズをしなかった。 
 

 敗者を罵倒する事も無かった。  
 

 説明もしなかった。ただ試合ではグウの音が出ない程、対戦相手を叩きのめしたが、自分も
 相手の技は全てを真正面から受けていた。 
  

 相手選手の髪の毛を持つ事を嫌った。理由を聞くと「美しくないからだよ」と笑っていた。
  

 これはジャイアント馬場率いる全日本プロレス系選手の多くに言える事だが、試合で魅せる以外の
 パフォーマンスを良しとはしない美学があった。「そういうの、恥ずかしいからヤメなさい」と。  

  

 「国技」の最高権威保持者「武士」を体現しなければいけない柔道家、ストイックなスポーツ
 とされるボクシングも、変質化したモノが目立ち、これまたいい加減なマスコミが飛びつく。
  

 勝てばいいんだろう?目立てばいいんだろう?と。 
  

 「悪い勝ちなら、良い負けの方が意義がある」
  

 と言ったのは雀鬼、桜井 章一だったが。 
 
 

 なんだかいつも残念な横綱とカメ親子です。