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 イタリアのバイクで一番有名なのはドゥカティ。
  

 その影に隠れて、もうひとつ「メーカー」がある。
  

 「モトグッツィ」
  

 歴史は第二次世界大戦中、3人のスキモノが、「この戦争が終わったら、俺達でバイクメーカー
 を興そう」と夢を描いていたのがキッカケ(このストーリーは日本の自動車メーカーに近似性がある)
  

 第二次世界大戦の、日本の同盟国・・・ドイツ、イタリア。
  

 どの国も敗北し、復興を遂げたわけですが、現在、クルマやバイクで世界を席巻しているのは、
 敗戦国の「日本」「ドイツ」「イタリア」なのが不思議と言えば不思議でもある。
  

 「アメリカ」「フランス」も基本、「自国民の為」のクルマ造りだし、「イギリス」にはもう
 自動車メーカーは無い。
  
  

 さて生まれて初めて「モトグッツィ」に試乗させていただいた。 
  

 「モトグッツィ」 
  

 何か訳ありげな、群れない人種の選ぶ乗り物のイメージがある。あえてそれを選ぶ人だけが
 駆るバイク。
 

 V型・2気筒エンジンを車体に対して縦に積む。
  

 現在、このエンジンレイアウトでバイクを生産しているのはこの世でモトグッツィ社のみである。 
  

 なおかつ、このV型エンジンは40年間!基本レイアウトが変わっていない「古い」エンジン
 でもある。造ってるのは現代ですけれどね。 
   

 アクセルを煽ると、車体が右に傾く。
  

 エンジン内部の駆動系の動きが、車体に響く。トルクリアクションと言われる特性だ。
  

 BMWの水平対向エンジンもこの特性があったが、ドイツ人はこれを技術で消した。 
  

 イタリアのこのバイクはこの特性がまだかなり、残っている。
  

 単に技術が足りないのか、「味わい」として残しているのか・・?  
  

 以前に雑誌で見たモトグッツィの工場は、石組みの建物で、まるで中世のお城の様であった。
 最新設備もあるのだろうが、かなりアナログな雰囲気であった。
 
 

 オートバイとは排気量が大きければ大きい程、実用性から離れる。
  

 運転の為に運転し、操作し、整備をし、気に入ったウエアをまとい楽しむ趣味の乗り物だ。
  

 趣味なんだから「(機械として)良い物が好き」と言う者だけとは限らない。
  

 「好きな物が好き」と言う人間だって居る。
   


 例え目をつぶって跨っても、アクセルをひねればモトグッツィの震えは乗り手に伝わるだろう。
  

 「アクセルをひねると右に傾くバイク」?
  

 もしかしたら欠陥的設計では?
 

 技術者なら、この癖を矯正すべきでは?
 

 でも乗ると面白い。このエンジンは、その鼓動を伝える車体は饒舌だ。
  

 「機械の味わいとして、この特性を演出として残した」
  

 と仮定すれば、万人受けは最初から狙っていない、という事か。 
  

 通常、世間はあらゆる「優れた機能」を賞賛する。 
  

 優れた燃費、優れた静粛性、優れた性能・・・数値化が簡単な、目に見える優れた諸々。 
 
 
 優れた物を賞賛する。評価する。飛び付く。これぞ世間。  
  

 モトグッツィは機械として優れていない気がする。もとより、大きな視点から見下げれば
 二輪なんて不安定な乗り物に優も劣も無い気もしなくもない。
    

 そしてお世話になったお店、40歳の私が高校生の頃から活躍する有名老舗店。
 

 還暦を迎える社長は、若手メカニックと共に手を汚し、お客様のグッツィの整備に忙しそうでした。
    

 我々おのぼりさんのお相手をしてくれた気さくで優しい奥さん、ありがとうございました。


 こういう世界があるんだなあ、と勉強になりました。