広島に帰省して楽しいのは街中を歩いていて小さい頃から見慣れた飲食店を見つけたときで、ああこのお店まだあったんだ、と思ったりするんだけど、よく考えたらうちは貧しくて外食って近所のラーメンかお好み焼きぐらいしか食べたことがないんです。

だから街中のレストラン、日本料理屋、寿司屋、焼肉屋、喫茶店なんかで食事したことがありません。

だから外観がどんなに懐かしくても、いくら記憶を辿ってもその内観や名物メニューやお店の味が全然思い出せないんですよね。


小さい頃雪山に行った帰りに父親が運転するサニーB110が交通事故をして助手席の母が大怪我をした。

それから母の退院後眼科の通院のためにこの天満川沿いの道を母のあとをついてよく歩いた。そして橋を渡って舟入の眼科の待合室で母の治療が終わるのを待っていた。母は赤い光を当てられていた。


この間、私が反抗性抑うつで、その主な原因が人間関係などでの適応障害で、自分の場合、出自が大きく影響しているのではないかと書きましたが、自分のブログを読み返してみると2年以上前にすでにそれを思わせることを書いていました。

https://ameblo.jp/toraji-com/entry-12450555932.html


先週現在の病院の精神科の先生から消化器内科でのこれまでの検査結果と踏まえてかなりショッキングな所見を聞かされて寝込んでいました。

といってももともと病室で寝ているので実際はあまり変わらず気持ちもだいぶ落ち着いてきました。

それで考えごとをしていてもうすでに書いた思い出したのでした。


自分が困ったり悩んだりしたときに他人に話を聞いてもらいたくなるのだけど、これが言ってみると難しいんだよね。

別に同情してもらいたいわけじゃなくて、むしろその問題について熱く語り合いたいんですよ。でもどうしても相手から同情気味の返事が返ってきてしまい、そこで会話が止まってしまう。

こういうとき他の人たちはみんなどうしているのだろう。私は一人で考え事をするのが好きで他人とあまり話をしたことがないのでよく分からない。

最近4人部屋に入院していて隣の人の入れ替わりが激しくて色んな人の会話がよく聞こえるのだけど、みんな気兼ねなくどうでもいいことばかり喋っているね。

で聞き入っているとさりげなく「どうせもう俺は死ぬんだからさあ」とかいう発言が織り込まれていたりする。それに対して先方がどんな返事をしているのか分からないけれども、何となくテンポよく会話が続いていく。人間の会話ってそんなものなのか。

私もなんとか他人と会話ができるようになりたい。

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