私はよくこのブログで、自分は日本人社会で育ち、小さい頃、母が在日とは知らなかった、それをおばたちによって知らされた、あとで母に聞いたらそれを事実として認めたって書いてるね。
それについてもっと踏み込んで書くと、実は、その後、その件で母とほとんど口を聞いたことがないんですよ。

少なくともこちらから何かしら積極的に質問をしたことはないし、まとまった話し合いをしたことがないんだ。
もっといえば、父とはその件でこの間母が亡くなった際に手続きをどうしたのか少し聞いたぐらいでそれ以上何も聞いたことがない。あと私には3歳年上の兄がいるのだけど、兄に至ってはこの件について何も会話をしたことがない。要するに今になって改めて考えてみると、私は母が在日韓国人二世であること、自分が日韓ハーフであることについて家族全員とほとんど全く会話したことがないんだ。

まして他人に至っては緘口令に近いぐらいこのことについて喋らなかった。
当然私にはリアル社会に友達が一人もいない。誰の住所も電話番号も知らないし、LINEは使ったことがないし、誰も私のうちに来たことがなく、私が誰かのうちを訪ねて行ったこともない。あってもせいぜい余程の義理で1、2度そうしたことがあるだけだ。

考えてみるとよくそんな人間関係で今日まで50年間ひとりぼっちで生きてきたものだ。
しかし不思議と寂しくなかった。
わりと自分みたいな人間はよくいるものだと思っていた。

その後、11年前にFacebookとTwitterをほぼ同時に始めた。
Facebookでは私は日本名の日本人で友達はほとんどは会社の同僚で日本人。
Twitterでは私は韓国語のtoraji(桔梗).comを名乗り、元々は在日韓国人・朝鮮人や朝鮮系の人たちと知り合うことが目的だった。

なお、toraji.comを名乗ったのは、私が22年ぐらい前にそのドメイン名を取得していたのだけど、それ以外に朝鮮人としてのアイデンティティがなかったから。そもそも私は韓国人名を持っていない。

韓国政府は私の存在を知らない。元々父系血統主義の時代に韓国人の母の元に生まれたのだから国籍がないのは当たり前なのだけど、それ以前に出生届け出を出してないのだから、当たり前といえば当たり前に話なのだけど。
この点については、今度、南麻布にある大韓民国大使館に聞いてみるつもりだ。

私の人生も残り少ない。死ぬ前に自分のアイデンティティと母との国籍上の関係を改めて確認しておきたい。
私は何者なのか。
母は私との関係をどう決めたのか。
とはいえ、所詮これは国籍の問題に過ぎない。国民国家というものにどれほどの価値があるのか。

母が私を産んだ。その事実だけで十分なのだが、それとは別に母の思いを確認したかった。しかしそうする前に私はその母を永遠に失ってしまった。

私はこの間他人と記憶を共有することは大切なことだと言った。自分のこれまでの生き方とは大きく矛盾するのだけれども。


ところで私が敬愛する早川義夫さんの歌で「父さんへの手紙」っていう歌があるんだけど、この歌の歌詞が私にはよく分かる。
ここで亡くなっているのは母さんではなく父さんなんだけれども。
特にこの演奏では亡くなる直前のHONZIのバイオリンがさらに胸に沁みる。


桔梗の花読者の皆さんへのオススメ商品です。😊