私は90年に上京をし、90年代前半大学に通っていた。西武新宿線の定期で行ける山手線駅は高田馬場だけで、新宿や池袋に行くときはほとんど徒歩だった。110円の西武新宿線の切符代ももったいなかったから。

高田馬場から新宿まで歩くとき、途中で通りかかる新大久保駅前は餃子の王将しか個人的に利用するお店はないイメージだった。ずいぶん変わった。

あと駅前のマックの横に古いエロ本の自販機があって、それにヤングマガジンとかジャンプの早出しがあった。高田馬場にもあったけど。あれはわりと利用した。お金入れてお釣りをもらうといろんなものが出てきた。50円玉の縁にビニールテープを巻き付けた百円玉とか。

線路の東側の向かい側を歩いてると、イラン人と言われていた男性が偽造テレカを売っていて、コロンビア女性と言われていた女性たちが客に声をかけていました。

あと当時の大学の同級生の女の子がよく知らず新大久保のラブホテル街を歩いたら、怪しいオッサンから「3万円でどう?」と声を掛けられたと。


あと韓国家庭料理店ハレルヤは当時からあったがもうちょっと新宿寄りだ。ロッテのあの清々しいガム工場を通り抜けた先にあった。

この店は90年代初頭に私が初めて食べた韓国料理の外食店だった。それまでは母の親族が作った韓国料理しか食べたことがなかった。

初めて入店したとき、韓国料理といえば焼肉だろう、でも自分はあまりお金がない、で選択したのがプルコギという料理だった。予想に反して、あの甘辛い奴が出てきた。

近くにハングルしか書いてない美容院があった。おそらく新宿歌舞伎町で働く韓国人女性の御用達のお店だったのだろう。


2000年ぐらいに彼女をこのハレルヤに連れていったら、彼女が帰りに辛味で思い切り腹を壊した。彼女はそれまで韓国料理を食べたことがなかったのだった。


以上が私の90年代からその先あたりまでの思い出。

その後の新大久保ブームについてはよく知らない。