昔から思うのだけど、母の世代の在日と私の世代の在日は随分違うなと。


母の世代の在日のおじさんたちは皆3Kの仕事で大変だったんだけど、それなりに収入がいいから私と同世代の在日のいとこたちはものすごく羽振りがよかった。小さい頃から超合金のおもちゃ、ゲームウォッチ、ファミコン、なんでもたくさん買ってもらってた。


で、情けない話なんだけど、私は夏休み、冬休み、春休みになるといとこたちの家に行くのを楽しみにしてた。おもちゃは買ってもらえるし、ファミコンはいっぱいあって、ただでゲームセンターで遊んでるみたいだし、あの有名なマクドナルドにも連れて行ってもらえる。

よく覚えてるのだけど、岡山の叔母が食べさせてくれる駅前のデパートの最上階のビーフカレーが美味しかった。いとこたちは「またビーフカレーか」とうんざりしてたけど。


私は仕方がないので学校でタダでもらった数学の教科書をもとに微分積分などの問題集を作ってそれを解いて遊んでた。でもあとになって考えるとそれがよかったのだろう。私は80年代に自宅にいたときは1秒もファミコンに時間を使わなくて済んだ。


稲垣足穂は京都の言葉として「あまえた」という言葉を紹介してた。「骨董品収集などに熱を上げる甘ったれ」みたいな意味らしい。玩物喪志ということかしら。


私はファミコンというと、いとこが持ってたドンキーコング、マリオブラザーズ、ドルアーガの塔、ギャラガ、ゼビウス、アイスクライマーとかいうのしかやった記憶がない。


同世代の日本人や在日がそれぞれどんなにファミコン愛を語ろうとも、私自身はまったくファミコンが懐かしくない。私も近所の子達も誰も持ってなかったから。


私の父は日本人で就職や家を借りるのに不自由はなかった。その分父の仕事は3Kではなく収入はよくなかった。私の両親は何でもかんでも切り詰めていた。マクドナルドにすら行ったことがない。高くて入れなかった。


友達と遊んでいて友達がコンビニでハンバーガーを買うじゃないですか。私は買えなかった。ひとりで何も買わないでぼうっとしてると、友達が「お前も一口食えよ」と勧めてくれて、私は彼のチーズバーガーを一口だけ齧った。美味しかった。それ以来私は一度もコンビニのハンバーガーを食ったことがない。

若い人は知らないかもしれないけど、コンビニは70年代から急速に普及した。当初はハンバーガーが売りだった。


話がそれたけど、私より半年遅く生まれたいとこがいてね。いつもニコニコしてるいいやつだった。でも数年前に生前の母が言ってたのだけど、彼がうつ病になって入院したんだって。で在日で土方をしてたおじさんが「わしにはよう分からん。あのキガイの息子が」と言ってると。世代の違いかな。


ああ、駄目だ。

今、夜中の1時だけど、最近、この時間帯になると訳も分からず気が沈む。

なんなんだろうな、この気持ち。

私は自分では自分をけっこう気に入っている。

けれども周囲の(日本人の)人たちにとってはどうでもいい存在なのだ。

そう思うと、誰とも話しようがなくなる。

何を話しかけても「考えたことがないから分からない」か「興味ない」のどちらか。

愛の反対は無関心と言うけれども。