以前から思うのだけど、世の中には、意識的に嘘をついているのではなくて、本当かどうかに関係なく自分に都合のいい説を何でもいいから必死に支持する人たちがいるのだと思う。


例えて言うと、私が借金取りで、負債者に「借金を払え」と言うと、私に親しい友人が「俺が代わりに払おうか」と言ってくるような感じ。あなたが私に他人の借金を払ってなんになるんですか。


世の中で一番目立つのは中途半端な人だよね。


日本人で在日の通名についてものすごく口汚く罵る人がいるけれどもあれはなんなんだろう。私は自分の母親が気の毒だったけれども。あの嫌な雰囲気は関係者にしか分からないのだろうか。


前にも言ったけど、バブルの頃にテレビ局と広告代理店が徹底的に日本人に消費者マインドを植えつけた。

結果的に訳のわからないサービス業が乱立して、日本人は手を動かさなくなってしまった。「金を払うから誰か代わりにやってよ」と。金がなくなったら誰も何もできなくなった。


平凡な人間にできる最大のことは飽きることだよ。


言うべきことはたくさんあるが、聞いてくれるのは善良な人たちばかりであり、あなたたちが聞いてくれても仕方がないことばかりだ。


私は特許の賞金で両親にルイヴィトンの財布を買って送った。

母親は異常なまでに恐縮していた。

もらったら自分の親の立場がない、みたいなことを言っていた。

それではなんのために頑張っていたのか分からないので押し切って受け取らせた。

(それがあなたの報酬でしょうが。)


そのあと今度は金の指輪を買おうとしたんです。両親が同い年で還暦で韓国にも還暦の風習があり母親に金の指輪を贈る習慣があると聞いて。

でも父親がそう言うメンタリティーがないのでとりあえず母にティファニーの金の指輪、父にダンヒルにベルトを贈った訳です。

母は「もったいのうて」と言ってた。


私の両親は日韓国交回復の前から付き合っていて、婚姻届がうまくいかなかった。国交がないからね。

結婚式もないまま事実婚で押し切った。誰も祝福するものはいなかった。手を貸してくれたのはおそらく親族だけですよ。


無知はバカじゃない。

不徳がバカなの。


在日の人たちを観察してるのだが、彼らは自分たちの問題になると極端に反応するのだが、アメリカにおけるヒスパニック系の問題や、SFにおける宇宙難民の話になると黙り込むな。あれはなんなんだ。問題を抽象化できてないんだな。


私自身は在日じゃないけど、自分が知ってる在日の母や昔の親戚の在日たちと、いまSNSで見かける自称「在日」の人たちはまるで別物だよね。はっきり言えば後者はなんだか分からない。そろそろ考え直すべきときなのかもね。


優秀で徳のない人たちが毎日毎日入れ替わり立ち替わり押しかけてくるんだけど、なんなのこの地獄。

自分が一角の人物であることを説明してあとは言いたい放題。バカなのかなあ。


創作小説として、日本人男性と結婚した在日女性が韓国政府に婚姻届も出産届けも出さず、それに気がついた息子がどうしていいのか分からないと言う話でも書いてみるかな。壮大な空想小説だけどな。


古代の人たちのいう神とはすなわち母親のことだよね。

ではなぜ古代に多神教が多かったのかと言えば、世のお母さんたちを複数形で取り扱ってたから。

これを一神教にしてからずっと「僕のお母さん」についての議論が耐えない。

君のお母さんとあの子のお母さんは別人なんだよという当たり前のことを誰もお互いに説得できなくなった。


真実を言えば皆黙る。

沈黙が正解。


小さい頃うちが貧乏でよく本屋で立ち読みをしてたんですよ。時々本屋の店主から頭を小突かれたもんです。

大学時代には駅のゴミ箱で雑誌を拾ったものでした。当時のゴミ箱は今よりも大きくてあまり抵抗がなかったんですよ。

でも今は立ち読みも雑誌拾いもしないな。


前にも言ったけど、その私が今一番好きじゃない人は立ち読み客。

毎日コンビニに押しかけて、新刊の雑誌をじっくり立ち読みして、絶対に買わないで買える人。

あれは本当に苦手だわ。見てるだけで心が痛む。そういう生き方自体がどこか間違ってると思うのだけど本人は気がついてないのね。


あと近所に年下の男の子がいて「お母さんに絶対コーラを飲んじゃダメだと言われてる」というので、何回も飲ませたことがありますね。