幼稚園のときに同じ組で文本くん(仮名)という子がいた。


小学校の1, 2年も同じ組だった。

その後別の組になり、学校で一緒に過ごす機会がなくなった。


しかし私の小学校四年の最後ぐらいからガンダムのプラモデルが流行り始めて、これが品薄なので子供達が探し回り始めた。そのときにたまたま同じものを探していた文本くんと再会した。私たちは意気投合し、休みの日に一緒にガンプラを探す約束をした。


まず私のうちに彼を連れてきた。すると母がいたので、私は母に文本くんを紹介した。すると母は言った。

「あら、ブンちゃん、いらっしゃい。」

私はなぜ彼が初対面で母からいきなり親しげに「ブンちゃん」と言われているのか分からなかった。あとになって考えてみると、文(ふみ)という字は音読みで「ブン」とも読むから、母が適当につけたあだ名なのだろうと思ったが、今になって思えば、文本くんは母と同じ在日韓国人で、母はその通名で彼の本名が文(ブン、ムン)さんだとすぐにわかったのだろう。

私は当時母が在日韓国人だと知らなかったから、母と文本くんの暗黙のやりとりに気がつかなかった。


それから私が文本くんと出かけようとすると、母が自分で漬けたキムチをスーパーのビニール袋に入れて文本くんに渡した。母は彼に「お母さんに渡してちょうだい」と言った。

おかげで、そのあと彼はそのキムチ臭いビニール袋を持ったまま滑り台を滑ったりしなければならなくなった。


それから彼の穴場だという駄菓子屋に行った。彼の話では自分はそこの駄菓子屋のおばあさんとツーカーで、おばあさんが奥にしまってあるガンプラを出してくれるという。しかし実際に行ってみると、おばあさんが「今日はガンダムのプラモが入ってたかねえ。何か駄菓子を買ってくれたら調べてみるよ」という。それで彼が安い駄菓子屋のジュースを買って飲むと、おばあさんが一旦奥に引っ込んでからまた出てきて「今日はなかったねえ」と言っていた。


それから私たちは彼のうちに行った。彼のうちは部落の屠殺場に近い4畳ほどの仮設住宅のようなプレハブだった。プレハブは金属製で外装はひどく赤く錆びていた。

室内に洗濯機が設置できないので、屋外に置かれていた。彼のお母さんはそこで洗濯をしていた。


彼がお母さんに私を紹介し、私の母のキムチを手渡した。するとこのお母さんは懐から小さな小銭入れを取り出して、小さくたたんだヨレヨレの千円札を取り出して、私にお菓子を買ってくるように言った。在日のお母さんたちのネットワークだろうか。


それで私は彼が帰ってくるまで、彼のお母さんと二人きりで気まずい思いをして待っていた。彼の家には妹の赤いランドセルが転がっていた。また押入れが開いていてペラペラの真っ赤な敷布団が畳まれていた。

私は生まれてこのかた、彼らより貧しい家庭を見たことがない。


しばらくして彼が帰ってきたのだけど、彼は何故か私が嫌いだった和菓子の羊羹を買ってきた。ポップコーンかポテトチップスでよかったのに。日本人っぽい私に和菓子を食べさせてくれたのかな。私は愛想笑いをしながら甘ったるい羊羹を食べていた。