小さい頃初めて人の死に接した。


母には2つ上の伯母がいた。私はこの伯母と面識がなかった。私が小さい頃、すでに伯母は意識不明の状態で入院していた。脳溢血か何かじゃないかと思う。

私は母のお供で広島から初めて関東に行った。病院に着くと私は売店で国産スーパーカーの童夢のミニカーを買ってもらった。母は伯母の病室に行き、私は廊下で母が出てくるのを待っていた。童夢のミニカーで遊んでいるとそれが手の届かない踊り場の窓枠に落ちてしまった。

そのあと母が出てきて、私を連れて帰った。


それからしばらくして、幼稚園にいると先生から呼び出しを受けた。

「あなたの伯母さんが亡くなったそうだから帰りなさい。」

それで私は一人でうちに帰った。うちに帰ると、母があちこちの親戚に電話をかけていた。母は泣きながら「アイゴー、アイゴー」と言っていた。当時私は母が在日韓国人だと知らなかったから、ときどき母が口にするアイゴー(아이고)は母の出身地の山口県の方言かと思っていた。興奮した母の話は日本語が半ば聞き取れなかった。


それからまた私は母に連れられて埼玉の伯母の家に行った。葬式というものを初めて体験した。しかし子供の私には退屈だったのだろう。しばらくして義伯父が自宅と道路を隔てて向かいにある自分が経営する金属回収のスクラップ工場に連れて行ってくれた。義伯父は強力な電磁石がついたクレーンの操縦席に乗せてくれた。私はそれがマジンガーZの操縦席のようで一人で興奮していた。


それから伯母の葬式が行われた。まだ生きていた母やおばたちが皆泣いていた。棺桶にお金を詰めていた。

伯母は出棺され荼毘にふされた。

私は初めて人の骨を見た。


その後母が伯母の粒子の荒い白黒写真の遺影をずっと仏壇に飾っていた。私は一言も会話をしたことがない伯母の顔を毎日眺めて暮らしていた。