幸子の生い立ち。
幸子の両親は終戦の数年前に朝鮮から日本に移り住んだ朝鮮人だった。両親は一族を引き連れてフェリーに乗り山口県の下関に上陸し、その近くの田舎町に住み着いた。
終戦の前年に幸子と頼子の双子が生まれた。
二人は当時唯一日本で生まれた親族だった。
幸子は小さい頃炭鉱のボタ山で石炭を拾っては飴に変えてもらっていた。
その数年後に祖父が亡くなった。
次兄のこと。
幸子には親子ほども歳の離れた次兄がいた。
ある日その次兄が血塗れで担ぎ込まれて来た。次兄は朝鮮の子どもたちに朝鮮語を教えていた。その帰りに何者かに襲われた。次兄は半殺しにされて口の中に唐辛子を詰め込まれていた。幸子の母親は泣きながら三日三晩看病をした。幸子は横で見ていて恐ろしくて震えていた。幸い次兄は命をとりとめたがそれ以来別人のように暗く喋らなくなってしまった。
その後、長男の妻が亡くなると、母親はその息子の面倒を見るために幸子と頼子を残して長男のうちに移り住んだ。
寂しかった幸子はある日一人で夜行列車に無賃乗車して横浜にいる次兄の元へ向かった。道中ずっと車内の便所に隠れていた。しかし横浜到着寸前で駅員に捕まり、結局次兄が駅まで迎えに来た。次兄は一緒に食事し、翌日お土産を持たせて幸子を見送った。
冴子と修司。
母親に残された幸子と頼子は姉の冴子に育てられた。
冴子は二人の面倒を見ていたが限界があった。
そんなある日冴子は同じ山口に住む在日の実業家の修司と結婚した。
幸子と頼子はこの修司に生活を頼って暮らしていた。
晃司との出会い。
昭和三十年代後半、幸子は同じ山口の義兄である修司の紹介で彼が持つ呉の街の喫茶店でアルバイトをしていた。そのお店にはジュークボックスがあり、コーヒールンバ、悲しき60才、ロコモーション、ヤングワールド、サンセット77、ワシントン広場の夜は更けて、など、当時のヒット曲がかかっていた。
そのお店に工業高校をサボってコーヒーを飲みにきていた晃司という男がいた。
二人は同い年でやがて付き合い始めた。
双子の妹がやってきた。
例の喫茶店で晃司と幸子の二人はぐだぐだおしゃべりをしていた。
「今度うちの妹が来るんよ。よかったら、会わん?晃ちゃんに会いたいんじゃと。」
「妹って、前に言いよった双子の妹?」
「うん。」
「いつ来るんかいの。」
「今度の日曜日に来る言うとったよ。」
「おうほうか。」
次の日曜日、待ち合わせの時間に晃司がいつもの喫茶店に行くといつものように幸子がいた。
彼女は振り向くとにっこりと笑った。
「おう、幸。」
すると彼女はしばらく黙っていたが、その間くすくすと笑いを噛み殺していた。それを見てすぐに晃司も気がついた。
「あんたあ、幸子じゃないわ。」
するとカウンターに隠れていた幸子がゲラゲラ笑いながら出てきた。
「引っかかった、引っかかった。晃ちゃん、この娘がうちの妹の頼子さんよ。双子じゃけえ、そっくりじゃろ。」
そのあと三人は喫茶店で歓談した。
姉妹がケーキを食べているうちに二人とも鼻の頭に生クリームがついた。
「お姉ちゃん、あんた鼻の頭にクリームがついとるよ。」
「頼子さんもついとるよ。」
在日の娘二人はなんでもないことを言ってはケラケラ笑った。
修司との出会い。
呉の商店街。
午後の喫茶店で幸子と晃司が二人っきりでコーヒーを飲んでいる。
「今日は暇じゃねえ。お客さんがよいよ来よらんわ。」
「ほうじゃのう。もう昼休みも過ぎとるしのう。」
「ほいでね、前にも言うたんじゃけどね、今度うちのお義兄さんがこっちに来るんと。時間が決まったら連絡するけえ、一回会うてあげてくれんかねえ。」
「ええよ。この店のオーナーで人柄のええ実業家の人なんじゃろ。」
「ほうよ。実業家で上品な紳士。温厚な優しい人でうちの憧れの人なんよ。会うたら分かるけえ。」
「ほうか。ほいじゃあ、わしも会うてみるけえ。そんときゃあわしもええカッコせんといけんかのう。」
そんなことを話していると、突然入口のガラスのドアが開き、幸子は慌てて飛び起きた。
「いらっしゃいませ…。」
振り向くと引き締まった体躯の眼光の鋭い男が入ってきた。それを見て幸子は青ざめた。
「えっ!なんで!!なんで、なんでもう来たんね。それもお店にいきなり。」
「おう、幸(さち)、元気にしとったか。今日急に広島に用ができたもんじゃけえのう。義理ごとじゃけえ断るわけにもいけんのじゃ。
義妹のあんたが元気にしとるかと思うて、こっちに先に寄ったんじゃ。」
修司は店内を見渡し、男子学生の客一人と飲みかけのコーヒー二つに目を落としながら続けた。
「ほいじゃが、あんた、昼間っから働かんと男と二人でコーヒー飲んどったんかい。ええ身分じゃのう。わしもあやかりたいもんじゃわ。
ほいじゃが、わしの店は連れ込み旅館じゃないんど。」
修司の目がギラリと光った。
「お義兄さん、何を言うておられるんね。営業よ。うちなりに営業しとったんよ。お客様をおもてなししとったんよ。あんたのお店、お客さんが入らんのじゃけえ。」
「おう、ほうか、そらあ感心じゃのう。あんまり客が入らんのじゃったら、この店閉めて、キャバレーにでもせんといけんようなるけえのう。可愛い義妹をそこで働かせるわけにはいかんし。まあ引き続き頼むわ。」
それから修司はテーブルに座ったまま固まっている晃司に目を落とした。
「あんたあ…。」
すると幸子は遮るように先に口を挟んだ。
「義兄さん、待って。
晃ちゃん、あのね、この人がね、ほら、前から言うとった…、うちのね、この店の経営者でね、紳士のね、修司義兄さん…。」
「今日は、修司さん。わし、晃司、いいます。はじめまして。」
「おう、あんたが“晃司”か。
ようもわしの可愛い義妹に手え出してくれたのう。」
「義兄さん!何言うとるんね!」
晃司はただただ修司の存在感に圧倒されて身動きすることができなかった。
「ほいじゃがまあよろしく頼むわ。こがなんはわしの義妹じゃけえ、可愛がってやってくれや。」
修司はにやりと笑った。
「おい、わしもコーヒーくれや。」
修司が厨房に向かって注文すると三人はテーブルに座ってなんでもない話を続けた。
晃司は想像もしなかった修司の荒っぽいようで思いやりのある温かい人柄に強く惹かれ、心配も吹き飛び、いつのまにか無口な自分には信じられないほど図々しいこと、修司の生まれ育ちや生業のことなどをずけずけと聞いていた。修司は奇譚なく答えていた。
あっという間に時間が過ぎて、修司は腰を上げた。
「いけんわ。これから広島の方へ行かにゃあいけんのじゃ。」
「ほんま!
うんうん。お義兄さん、約束に遅れちゃあいけんけえ、早う行きんさい。ほんま早う行きんさい。姉さんによろしうね。」
「分かっとるわ。邪魔して悪かったわ。あんたら、ほいじゃあまたの。」
それから修司は店のガラス戸を押し開けながら振り向きざまに言った。
「ほいで、あんたら、もうヤったんか。」
「義兄さん、何バカなこと言うとるんね!ええ加減にせんとしばくよ!!」
「おうおう、邪魔したわ。“晃ちゃん”、会えてよかったわ。またの。」
「早う行きんさい!」
二人だけのドライブ。
幸子は晃司とデートの約束をした。
当日待ち合わせ場所で待っていると、晃司が商用のオート三輪に乗ってやって来た。
「なんね、これ??」
「車よ。幸がドライブしたい言うけえ、社長に頼んで借りてきたんよ。」
高度経済成長期のマイカーブームが始まる直前だから、若者が自家用車を持っているのは珍しかった。すでにパブリカなどは発売されていたが、サニーもカローラもまだ発売されていなかった。晃司は免許は持っていたが、車は持っていなかった。
ふたりは開通したばかりの竣工して間もない東洋が誇る音戸大橋のドライブインで食事をし、螺旋状の高架橋を渡って、夏の入道雲が立ち上る倉橋島をドライブし、潮の香りのする瀬戸内海の海岸沿いを走った。
また後日には反対方向の宮島や岩国の錦帯橋、幸子の地元山口まで足を伸ばして下関まで出かけた。
まちぼうけ。
その後、二人は結婚さえ考えるようになった。
しかし晃司はすでに幸子の秘密を知っていた。在日であるということではない。それはしばらく前に聞かされていたし、まるで気にもしていなかった。問題はそれよりもずっと深刻だった。しかし晃司は彼女を選んだ。いやもう降りられなかったのかもしれない。
二人はお互いの気持ちを確かめあった。
それからそれぞれの身内に事情を説明した。しかし当然の如く周囲からは猛烈な反対が起こった。二人の父親はそれぞれが幼いときにすでに亡くなっていた。問題は母親だった。幸子の母は血縁関係から日本人との結婚に猛反対した。晃司の母は朝鮮人との結婚である以上に幸子の身の上の問題を認めるわけにはいかなかった。
晃司の母である寿子は言った。
「あの子が悪いわけじゃないのはうちもよう分かっとるよ。あんたの説明も何回も聞いたわ。ほいじゃけどあの娘はやめときんさい。あんたが不幸になるだけじゃけ。あの娘と結婚したらあの娘の親戚の人らとうちの親戚が親族になるんよ。そしたらどうなるんね。”その人”も親戚になるんよ。あんた、最近の新聞ニュースを見とらんのね。物騒な事件ばっかり。どうなるかよう考えんさいよ。あんたの妹のことも考えんさい。とにかくいけんて。」
しかし晃司の必死の説得に対して寿子は言った。
「ほいじゃあ、せめて保証人を連れてきんさい。誰が身元を保証してくれるんね。」
次の日晃司と幸子は話し合った。幸子の父親はすでに亡くなり、母親は聞く耳を持たない。頼れるのは生活の面倒を見てくれている義兄夫婦だけだった。しかしこの義兄も連れて行くわけにはいかない。結局二人は幸子の姉の冴子を連れて行くことにした。晃司は母親に訪問を伝え、自宅での待ち合わせの了承を取り付けた。
後日冴子が山口からやってくると三人はいつもの喫茶店で待ち合わせをしてから晃司の家に向かった。二人は手土産を持ち緊張した面持ちである。
やがて三人が晃司の家に着くとそこには誰もいなかった。玄関には鍵がかかり中に入れなかった。
しかたがなく三人は家の前で晃司の母親が帰ってくるのを待っていた。
時は過ぎ、日は暮れ、冴子は煙草を吹かし、幸子は涙をこぼした。それを見た冴子は肩をさすって慰めた。
「お姉ちゃん、最初からこがあなことじゃろうと思うとったよ。괜찮아요.」
冴子が抱きしめると幸子は胸の中でうなずいた。
「幸子、帰ろう。」
翌日、幸子と晃司は広島駅のホームに山口に帰る冴子を見送りに来た。
冴子は二人に語りかけた。
「昨日は残念じゃったけど、あんたら、こがあなことで諦めんさんな。負けたらいけんよ。お姉ちゃんはあんたらの味方じゃけえね。ほいじゃあまたね。」
冴子は山陽本線の駅のホームで二人にそう告げると山陽本線に乗って再び山口に帰っていった。
真っ赤なオースチンヒーレーの男。
晃司が呉の港町をとぼとぼと歩いていると背後からクラクションが鳴った。
振り返るとそこには真っ赤なオープンカーが止まっていた。中には幸子の義兄の修司が乗っていた。引き締まった体躯をした眼光の鋭い男である。修司も幸子と同じ在日であった。
「ああ、義兄さん、こんにちは。」
晃司は未だ結婚していない彼女の義兄である修司を、違和感を感じながらも「義兄さん」と呼んでいた。
「おう、晃ちゃん。どうしとったんじゃ。フラフラ歩いとるけえ。元気にしとるんか。」
「はあ、まあ、何とかやっとります。」
「おう、ほうか。そらよかったわ。
これ見てみいや。オースチンヒーレーよ。この間買うたんじゃ。新車で。カッコよかろうが。試運転のつもりで走らせよったんじゃ。」
「はあ。」
「ところでよう。」
修司はタバコに火をつけながら話を続けた。
「この間、女房から、あんたらのこと聞いてのう。わしも心配しとったんじゃ。あんたのお母さんとの面会を断られたんとのう。幸(さち)の方の母さんも族譜(キョッポ)やらなんやら言うてカンカンらしいが。
まあ困ったことがあったら、なんでも相談せえよ。男同士、わしがなんぼでも話を聞いちゃるけえのう。わし自身のことでも言いたいことがあったら遠慮のう言うてくれや。わしは晃ちゃんのことを気にいっとるんじゃ。なんぼでも付き合うけえのう。
ほいじゃがよ、幸とは出来るんなら仲ようしちゃってくれや。あれはあんたにほんまに惚れとるで。うちの女房と一緒で気は強いが、まあ素直でええ娘じゃわ。
ほいじゃがのう、晃ちゃん、あんたも無理はせんでええんで。わしらは自分らの立場はよう分かっとるけえ。まだ他人の晃ちゃんが無理する義理はないんじゃけえ。その気がないんなら遠慮しんさんな。そんときにゃあわしゃ晃ちゃんのこと悪う思わんし、幸にはわしからも言い含めちゃるけえ。心配しんさんな。
まあ、そがあなことをよ、わしゃあんたに言いたかったわけじゃ。
まあ今度一緒に飯でも食いに行こうや。
ほいじゃあのう。」
そう言うと修司はオープンカーに乗って走り去っていった。晃司は振り返らずとぼとぼと幸子のいる喫茶店へと向かった。
長男ができました。
昭和四十年代前半。
晃司と幸子は同じ年に高校を卒業し、晃司は地元呉の設計会社の下請け会社、幸子は姫路の事務会社にそれぞれ就職することができた。これにより幸子と晃司とは離れ離れになったが、お互いに手紙で連絡を取り合い、ときどき出かけては二人で過ごしていた。
その後二人はいつまで経っても入籍することができず、不安定な関係が続いていた。
しかしついに幸子につわりが起こり、幸子は晃司に受胎を告げ、晃司は母子を受け入れた。しかし、今の状況では幸子がその仕事を続けていくことができないのは明らかだった。
入籍できないまま受胎し仕事も続けていくことができない幸子にとって、晃司以外に唯一相談できる相手は姉の冴子だけだった。幸子は身の不安を冴子に訴え続けた。
そんなある日幸子に一本の電話がかかってきた。
「おう、幸、わしじゃあ。修司じゃあ。」
「義兄さん。」
「話は冴子から聞いたわ。どがあにしとるんかと思うとったがのう。行くあてがないんとの。ほいじゃったら、わしのところへ来いや。わしは若い者をようけ面倒みとる。自分の義妹の面倒ぐらいみれんでどうするんなら。あんたの面倒はわしが見ちゃるけえ。」
幸子は一瞬ためらった。
「…。ほいじゃけど、ええんかね。」
「おう、元々はわしのせいで結婚できんでおるんじゃろうが。ともかく落ち着くまではわしのところにおれや。心配するな。幸と晃ちゃんはわしが守ったるけえ。」
幸子は姫路の会社を辞め、出産するまで山口の修司のもとで暮らすことにした。晃司も度々訪ねて二人で過ごした。
幸子はいよいよ臨月を迎えたが、唯一の不安はこのまま修司の元で子供を産み育てることで、子供の将来がどうなるのかということだった。しかしいつまで経ってもその先が見えてこないのだった。
そんなある日に一本の電話がかかってきた。修司の若い者が呼びにきた。
「幸子さん、お電話ですよ。」
電話をかけてきたのはあの日待ち合わせをすっぽかした晃司の母親の寿子だった。
「幸子さん、子供が生まれるんじゃってね。晃司から聞いたんよ。」
「お義母さん。」
「ほいでね。今日は話があるんじゃけど。その子ね、こっちに来て産みんさい。そっちで生まれ育つよりこっちで育てた方がその子のためじゃと思うんよ。」
「ほんまにええんですか。」
「ええよ。うちにおいで。幸子さんと晃司が何年も付き合うてお互いに気持ちも変わらんみとうなし。それなら一緒に暮らしたらええわ。呉のうちにきんさい。晃司と赤ちゃんと三人で暮らしんさい。」
「…。」
幸子は複雑な思いを飲み込んだ。
「生まれたら、うちにも孫の顔を見せてね。うちの初孫じゃけえ。」
長年二人の結婚に反対していた晃司の母親、寿子はとうとうふたりに根負けしたのだった。
しかしそれよりも早く幸子の陣痛は始まり、結局幸子は修司の地元の産婦人科で出産した。出産には晃司、姉の冴子、双子の妹の頼子が立ち会った。子供は無事に生まれた。元気な男の子だった。
その後、修司も見舞いに来た。
「おう、幸、元気な男の子が生まれたのう。あんたにも晃ちゃんにもよう似とるわ。まあよかったわ。
あと晃ちゃんの御母堂がようやく認めてくれたんとのう。それは何よりじゃわ。これでわしも安心したわ。なんならわしはもう関わらんでもええんじゃろう。親子で幸せに暮らしんさいや。」
「義兄さん。」
「それによ。まあ、もしよ、追い出されたんならいつでもこっちに帰ってこいや。わしがまた面倒みちゃるけえ。そんときはこっちで暮らしたらええじゃなあか。あんたの親戚も同胞の者もいっぱいおるし。下関あたりでなんぼでもうまいもん食わせちゃるけえ。」
「義兄さん、あんた、さりげなく不吉なこと言うとらん…。」
「晃ちゃん、これでわしゃああんたとほんまの義兄弟になったわけじゃ。これからもよろしう頼むわ。」
「義兄さん。」
家族になりました。
昭和四十三年。
晃司と幸子は生まれた子を連れて山口の修司の家から呉の晃司の母の元へと山陽本線で向かっていた。
「お義母さんに会うの緊張してきたわ。ちゃんと会うてくれるかね。どがあなことを言われるんじゃろう。息子を返せじゃの、このうちの敷居を跨ぐな、じゃの言われたら。」
「そらあないわ。お袋は別に幸のこと悪う思うとらんで。わしらのことを心配しとっただけじゃけえ、気にせんでええけえ。」
呉に着くとそのまま二河川沿いを海辺まで歩いて祖母のうちに向かった。蝉が鳴く夏の暑い日だった。祖母の家は呉海上保安部の近くにあった。周囲には多くの船舶が停泊していた。
二人は玄関にたどり着き、一呼吸してからガラス戸を開けた。
「お袋、帰ってきたけえ。」
する遠くからドタドタと晃司の母親、寿子が出てきた。
幸子と晃司の母親は初めて顔を合わせた。幸子はペコリと頭を下げた。すると寿子はにっこり笑って幸子を迎えてくれた。
「幸子さん、よう来んさったね。待っとったんよ。ああ、その子が生まれた子じゃね。あとで抱かせてや。
とにかく、さあ上がって。」
二人はうちに上がると畳の間に座り込んだ。
「ほいじゃが暑いのう。やれんわ。」
晃司は転がっていた団扇を仰いだ。
寿子が冷たい飲み物と西瓜を持ってやってきた。
「あんたら暑い中遠いところ大変じゃったね。」
(三人の間で色々な会話が交わされる。)
「ほいじゃけどねえ、幸子さん。」
ずっと我慢していた寿子は辛抱がしきれなくなって、幸子の元に寄っていった。
「うちにもこの子を抱かせてくれんかねえ。」
そして幸子から赤ん坊を受け取ると大事そうに抱え込んでその小さな顔を覗き込んだ。
「なんとまあ可愛らしいことじゃねえ。まあ可愛いわ。こがあな可愛らしいもんは見たことがないわ。
うちの初孫じゃけえね。」
その後しばらく寿子は孫を抱き続けた。
幸子はその様子を見て拍子抜けした。寿子に長年結婚を反対されていた幸子はてっきり在日韓国人の自分も混血の子どももこの母親に邪険にされるものだと覚悟していたからだった。
晃司の妹、純子。
その様子を見ていた晃司はようやく気がついて寿子に尋ねた。
「そういやあ、あいつはどうしたん。」
「純子?あの子は今お使いに行っとるよ。すれ違わんかったんかね。」
「いやあ、会わんかったで。」
「ああ、幸子さん、この子の妹で純子いうのがおってね、今お使いに行っとるんよ。もう少ししたら返ってくるけえね。」
しばらくしてガラス戸が開く音がして、純子が帰ってきた。
「お義姉さん、初めまして。純子です。ご挨拶が遅れました。」
「純子ちゃん、はじめまして。よろしうね。」
「さっきそこの街に行ってケーキを買ってきたんです。お義姉さんと赤ちゃんにと思うて。」
「おい、わしのはないんか。」
「お兄ちゃんのもあるよね。」
家族全員で揃ってケーキを食べた。
それから純子もまた寿子と同じように幸子の赤ん坊を抱き抱えて微笑んだ。
その夜、幸子は晃司と寿子の家に泊まった。
幸子が赤ん坊に乳を飲ませると二人は布団を引いて家族三人で眠りについた。
広島市で暮らしはじめました。
昭和四十三年。
晃司と幸子が寿子たちと和解したあと、晃司は広島市の三菱重工の下請け会社に就職した。そして親子はその近くの町の風呂なし、汲み取り便所の古いアパートで暮らしはじめた。
お母さんがやってきた。
工事と幸子が広島市の古いアパートで暮らし始めた頃、幸子の母親が2人の元を初めて訪ねて来た。
幸子の母親は在日韓国人一世だった。母親は二人の結婚に一貫して強く反対していたが、すでに子供が産まれた今となっては二人の仲を認めないわけにはいかなかった。
幸子の母親は重たい米の袋を背負って娘夫婦の元にやって来た。母親は初めての日本人の血の入った孫と対面した。家柄を重んじる母親にとって心中は複雑だった。
その母親に対して幸子も冷たかった。今まで自分の結婚に反対していた母親に腹の虫が治らなかった。
「お母さん、お肉を買って来て。牛肉を100グラム。」
すると母は黙って買いに出かけた。しかしようやく買ってくるとそのたった100グラムの牛肉は脂身だらけだった。これを見た幸子は激怒しその100グラムの牛肉を返品に行かせた。
しばらくして母親は帰ってきた。辿々しい日本語で一生懸命説明してなんとか交換してもらったらしかった。
彼らは貧しい夕食を共にし、母親は次の日に山口の実家に帰っていった。
生まれてこなかった女の子。
その翌年、幸子は第二子を身篭ったが、流産をした。生まれてくる予定だった子は女の子だった。
初めての家族旅行。
長男が2歳になった昭和四十五年。好景気に沸く日本で大阪万博が開催された。二人は寿子を誘って大阪万博の見学に行った。行く前に晃司は知り合いから8ミリカメラを借りて道中の様子を撮影した。
次男が生まれました。
そして翌年の昭和四十六年、幸子は広島市の十日市にある病院の産婦人科で次男を出産した。その時点で晃司は住民票を呉市から広島市に移していなかったため、生まれた次男の本籍地は母親の住所である呉市となった。