自分が一番好きなもの、大切なものを追いかけていくと不思議なぐらい人影がなくなるものだよね。


最近創作小説の形で以前から描きたかったことを描きはじめている。あえて重く描かずラノベのような軽い文体で書いている。とにかく大切なことは書き出すこと。この脳みその中にある記憶を出力すること。昭和の庶民の歴史を少しでも書き出しておきたい。


私は自分が読みたいことを書いている。それでいいのだと思う。文章を書き出して、読み終わったときのみなぎるような手応えが間違っているとはとても思えないからだ。たとえ自分以外に読む人はいなくてもそれで十分だと思っている。


SNSで在日に絡んでいる日本人がいますね。読むと中にはとても理知的で紳士的な人もいるのですけど、それでも読んでいて違和感が拭えない。それは彼らが日本人の視点だけでものを見ているからでしょう。一面だけを見て机上の理論で主張を組み立てるから相手の理解が得られないのでは。男尊女卑と一緒。


日本の日本による日本のための炭鉱開発を日本で行っていたのですから日本人が多いのは私には自然に感じられます。また炭鉱の歴史は古いですから朝鮮に関係なく元々日本人だけでやっていたのかもしれないですね。

ただそれが「ことさら朝鮮人だけが」につながる発想はよくわかりませんでした。

私も同感です。(強制性が問題なのであって)人数比などの問題ではないです。「人数が少ないこと」が「ことさら朝鮮人だけが」になる主張には共感しません。それをまず伝えました。


自分の頭の中にあるものを書き出す作業はとても孤独なものだね。例えば自分が昨夜見た夢を文章に書けるのは私だけだから。


日本人の人で在日の人やハーフの人に絡んでる人がいるけれども、その一方で私はそういう人たちをたくさんフォローしている。で見ているとだんだん彼らがお互いに交流を深めてるように見えます。このまま行くとこれまで個別に差別されていた人たちの大きな交流の輪ができるのではないかしら。そのときになって彼らをからかったり冷やかしていた日本人が俺たちも仲間に入れてくださいと言っても遅いのではないか。彼ら自身が国際化の時代に取り残されなければいいけれども。


「それならこうすればいいじゃないですか」と誰でも思う問題がそれでは解決しないから関係者が困っているのに、そこへのこのことしゃしゃり出てきて案の定「それならこうすればいいじゃないですか」と言い始める人は一体なんなんだろうか。


わしゃ小さい頃ブルーダイヤの金銀パールプレゼントて当たりじゃったら粉石鹸の中に現物が紛れ込んどるもんじゃと思うとったんよ。ほいで真面目に粉石鹸を掘り返した記憶があるわ。ほいじゃが今さら調べたら、応募券がついとっただけなんじゃと。あんたあ知っとった。わしらみんな騙されとったんよ。


3:26。寝てまた目が覚めた。

また夢に彼女が出て来た。父と三人で川の字で寝ていて途中夢と気がつきかけて何度も肩をさすったり抱きしめてすごいはっきりと手応えがあったのだけどまた夢だった。15年経っても夢に出てくる。

日本人の女の子で、こちらの深いことを話しきれなかったし、興味もなかった。


そのあと電車に乗っていた。何線でどこへ行くのか分からないが、国際という駅で人がどっと降りたので私も乗り換える。乗り換えたのが日比谷線でこれなら六本木まで行くと思ったら、逆向きだった。


私は1歳にならない頃から記憶がある。

母親のおっぱいを吸ってたことも、母が私のおしめを洗濯してたことも、ベビーカーに乗せられてたことも、母がうどんを噛み砕いてレンゲで私に食べさせて違和感があったことも。

私は3歳まで古い風呂のないアパートに住んでいて銭湯に通ったのだけど、当時男湯にも女湯にも入っていた。女湯のことも覚えている。母親に抱っこされて湯船に浸かっていた。

50年近く経っても忘れない。昨日のことのよう。


私は二重人格なんだと思う。日本人としてITの仕事が正念場になると朝鮮人の自分がブログに文章を書き始める。いつも二人は時間の奪い合いになる。


若い頃に憧れたものを今になって大金をはたいて買い求めるのはやめたいものだ。もうそんな心境ではない。


日本という社会で大多数の人たちが大人しい人たちで黙って権力者の言いなりになっていることと、その社会から弾き出された好戦的な人がヘイトで言いたい放題を言っていることは表裏一体なのではないか。