家族になりました。の続き


昭和四十三年。

晃司と幸子が寿子たちと和解したあと、晃司は広島市の三菱重工の下請け会社に就職した。そして親子はその近くの町の風呂なし、汲み取り便所の古いアパートで暮らしはじめた。


その翌年、幸子は第二子を身篭ったが、流産をした。生まれてくる予定だった子は女の子だった。


長男が2歳になった昭和四十五年。好景気に沸く日本で大阪万博が開催された。二人は寿子を誘って大阪万博の見学に行った。行く前に晃司は知り合いから8ミリカメラを借りて道中の様子を撮影した。


そして翌年の昭和四十六年、幸子は広島市の十日市にある病院の産婦人科で次男を出産した。その時点で晃司は住民票を呉市から広島市に移していなかったため、生まれた次男の本籍地は母親の住所である呉市となった。


(第一部完)


参考:「お母さんがやって来た。」