昭和三十年代後半の呉の商店街。

午後の喫茶店で幸子と晃司が二人っきりでコーヒーを飲んでいる。

「今日は暇じゃねえ。お客さんがよいよ来よらんわ。」

「ほうじゃのう。もう昼休みも過ぎとるしのう。」

「ほいでね、前にも言うたんじゃけどね、今度うちのお義兄さんがこっちに来るんと。時間が決まったら連絡するけえ、一回会うてあげてくれんかねえ。」

「ええよ。この店のオーナーで人柄のええ実業家の人なんじゃろ。」

「ほうよ。実業家で上品な紳士。いっつも優しうて、うちの憧れの人なんよ。会うたら分かるんじゃけえ。」

「ほうか。ほいじゃあ、わしも会うてみるけえ。そんときゃあわしもええカッコせんといけんかのう。」

そんなことを話していると、突然入口のガラスのドアが開き、幸子は慌てて飛び起きた。

「いらっしゃいませ。」

振り向くと引き締まった体躯の眼光の鋭い男が入ってきた。それを見て幸子は青ざめた。

「えっ!なんで!!なんで、なんでもう来たんね。それもお店にいきなり。」

「おう、幸(さち)、元気にしとったか。今日急に広島に用ができたもんじゃけえのう。

あんたが元気にしとるかと思うてこっちに先に寄ったんじゃ。」

修司は店内を見渡し、男子学生の客一人と飲みかけのコーヒー二つに目を落としながら続けた。

「ほいじゃが、あんた、昼間っから働かんと男と二人でコーヒー飲んどったんかい。ええ身分じゃのう。わしもあやかりたいもんじゃわ。

ほいじゃが、わしの店は連れ込み旅館じゃないんど。」

修司の目がギラリと光った。

「お義兄さん、何を言うておられるんね。営業よ。うちなりに営業しとったんよ。お客様をおもてなししとったんよ。あんたのお店、お客さんが入らんのじゃけえ。」

「おう、ほうか、そらあ感心じゃのう。あんまり客が入らんのじゃったら、この店閉めて、キャバレーにでもせんといけんようなるけえのう。可愛い義妹をそこで働かせるわけにはいかんし。まあ引き続き頼むわ。」

それから修司はテーブルに座ったまま固まっている晃司に目を落とした。

「あんたあ。」

すると幸子は遮るように先に口を挟んだ。

「義兄さん、待って。

晃ちゃん、あのね、この人がね、ほら、前から言うとった、うちのね、この店の経営者でね、紳士のね、修司義兄さん。」

「今日は、修司さん。わし、浩司、いいます。はじめまして。」

「おう、あんたが“晃司”か。

ようもわしの可愛い義妹に手え出してくれたのう。」

「義兄さん!何言うとるんね!」

晃司はただただ修司の存在感に圧倒されて身動きすることができなかった。

「ほいじゃがまあよろしく頼むわ。こがなんはわしの義妹じゃけえ、可愛がってやってくれや。」

修司はにやりと笑った。

「おい、わしもコーヒーくれや。」

修司が厨房に向かって注文すると三人はテーブルに座ってなんでもない話を続けた。

晃司は想像もしなかった修司の荒っぽいようで思いやりのある温かい人柄に強く惹かれ、心配も吹き飛び、いつのまにか無口な自分には信じられないほど図々しいこと、修司の生まれ育ちや生業のことなどをずけずけと聞いていた。修司は奇譚なく答えていた。

あっという間に時間が過ぎて、修司は腰を上げた。

「いけんわ。これから広島の方へ行かにゃあいけんのじゃ。」

「ほんま!

うんうん。お義兄さん、約束に遅れちゃあいけんけえ、早う行きんさい。ほんま早う行きんさい。姉さんによろしうね。」

「分かっとるわ。邪魔して悪かったわ。あんたら、ほいじゃあまたの。」

それから修司は店のガラス戸を押し開けながら振り向きざまに言った。

「ほいで、あんたら、もうヤったんか。」

「義兄さん、何バカなこと言うとるんね!ええ加減にせんとしばくよ!!」

「おうおう、邪魔したわ。“晃ちゃん”、会えてよかったわ。またの。」

「早う行きんさい!」