日本沈没が話題になった頃の日本の雰囲気が若い人にはわからないんだろうね。
私はいま49歳だけど、これぐらいの年齢だと世代間の記憶の分断を強く感じるなあ。
親の世代と自分の世代と若者の世代と。
人間の脳って繋がってると思うんですよ。でも直接ではなくて言葉などを通じて繋がってる。ネットワーク型なんですね。
私は死ぬ前に一度ピカレスクな自伝小説を描きたいと思っている。でも書いたらまずいのだなあ。だからピカレスクなんだろうけれども。
母方のひとつ上の伯母の話:
在日の母が日本人の父と結婚しようとしたとき両方の親族が強く反対した。それは在日以外のある理由があったからだが、その際に両親が父方の祖母と会う際に身元保証人として同行してくれたのがこの伯母だった。約束はすっぽかされ3人で祖母の帰りをいつまでも待っていたと。
終戦直後のいわゆる三国人問題とその後の昭和三十年代の各地での抗争に対する当時の日本人の記憶はどのぐらい失われてしまったのだろうか。
今日の日本人による具体性のないヘイトスピーチを聞くたびにときどき思うのだけど。
伝聞による差別発言をフィルタリングすればかなり話が整理できるのではないか。
Twitterを眺めていると一人で静かな夜の海を眺めているようだ。
本当に聞きたい話が流れてこない。
差別者呼ばわりされたくないというのは差別問題に関わりたくないということですよね。関わるリスクはあっても関わるメリットはないという身もふたもない話。だから大抵の日本人は差別問題についての話し相手になってくれないんだろうなと思います。
私は若い頃葬式とかお墓参りみたいなものをばかにしてた。葬式仏教だと。でもこれもこの歳になって考え直してみると含蓄深いことに気がついた。一度親族の墓を回ってみたいもんだ。
90年に私が大学に合格したときに父方の祖母が現金書留でお祝いを送ってくれた。今になって思えば何の礼状も書いてなかった。不義理なことだった。
その後しばらくして亡くなったのだけど、何故か両親から連絡がなく、もう葬式は済んだとのことだった。
生まれる前の話をもっと聞けばよかった。
逆にいえばこれが私がいう無風状態なんだが。日本人と在日外国人が反発し合う中で私が意見を言うと無風状態。不思議なほど絡まれない。
いわゆる穏健派っていうのは無口な人が多いな。
逆にいえば、ベラベラ喋る穏健派がいたらいいのにね。