タイムマシンがあったらなあ。母や親戚に聞いてみたかったことがたくさんあるのだけど。みんな鬼籍に入ってしまった。私ぐらいの年齢の人は皆経験することかもしれないけど、淋しいものだね。


私はいわゆる理系の人間で学生時代は数学を学び、コンピュータ会社に就職してからはずっとプログラムを書いたりしてるのだけど、改まっていうと私はどうも理系の人が苦手なんです。悪くは思わないのだけど、話の接点がないんですよ。

高校の頃に仲がよかった奴らは二人とも美大に行ってしまったし、昔一緒に暮らしてた子も美大卒だった。どうも美術系の人の方が話が合うみたい。


自分自身の無風状態を研究している。何故私はdisられないのか。相手にされてないからだといえばそれまでかもしれないけど。


年配の在日らしい人のアカウントを見ていると、被害者意識を拗らせてる人がいるね。「実際にはそれほどの被害にあってないだろ」と言ってるのではなくて、実際に色々あったのだと思うけど、ご本人が意識的に反芻しすぎてる感じ。ある意味では幼児期の家庭内暴力の被害者に似てるね。



(映画ジャイアンツのやりとり)

店長が出てきてこの店から出て行けという。

それを見たディックが割って入る。

私はベネディクトの者だ。長年地元で尊敬されている。この人たちにも同じサービスをしてあげられないか。

それが何か?じゃああんたの席にいる浅黒い赤ん坊もベネディクト家なのかい。



ほいじゃがわしゃ昔mixiを始めたときに最初標準語で書いとったんよ。じゃが途中から広島弁に切り替えたんじゃね。それも金子信雄みとうな。ほしたらおじいちゃんみたいじゃね言われてのう。わしの何がお爺ちゃんなら、はっきり言うてみんさいよ、思うてね。

まあ大体生まれ育った環境が悪かったわの。同じ広島でも部落の柄が悪いところでから。物心ついた時から柄が悪かったんよ。ほいじゃが本人は知らんもんでね。東京に出てきて気がついたよね。

よう広島弁がヤクザみたいて言われるじゃないの。ほしたら広島の人もふざけて広島弁を披露するわね。

今になって思えば、これは世代的なもんもあるんかもしれんね。わしが物心ついた頃仁義なき戦いが流行っとったけえね。


(三白眼の人へのつり目の仕草について)

正確に言うと私は11, 2歳まで母親が在日韓国人だ知らなかったから自分も日本人だと思ってたんですよね。だから私自身が名指しで朝鮮系として差別されたことはないんですよ。

その後母親が在日だと気がついたけど、本人が名乗り違ってないので私も連座で黙ってた。やっぱり誰からも差別されなかった。

でもそもそも母親が隠してたのは自分が若い頃に散々差別されてうんざりしてたからだし、名乗らないから差別されないと言うこと自体が差別の裏返しだよね。

また日本人なのに在日韓国人の母に似て三白眼の私がつり目の真似をされたり、朝鮮人っぽいことがネタにされてること自体が差別の亜流だよね。しかもみんな私を日本人だと思ってるから、仲間意識で悪気がないんですよ。ニコニコしながらからかってくる。


私の隣町が部落だった。昔は広島の三角州の中洲で水位が低くて、雷魚が逃げるつげ義春の漫画みたいによく水没したらしい。護岸工事で地続きの町になった。まだ古い屠殺場があって毎日血生臭かった。その後屠殺場が郊外に移転して最新設備で血の匂いの問題はなくなったみたい。でも反対運動があったな。


被差別者や被支配者が「支配下でやむを得ず選択したこと」が、「本人たちの自由意志」になって、「様々な価値観」みたいに話がすり替わることがあるのかなと思ったりします。


昔「(精神的に)重たい」っていう表現が出てきて、結果的に「軽い話」しか興味を持たない人が増えたような気がする。

あと「マウントポジション」という言い方が出てきて年寄りの話を聞かなくなった。

そういう一面もあるような気がする。


小さい頃近所に口うるさいお年寄りがいて閉口したもんだけど、最近自分がこの歳になってなんとなく分かるようになってきた。

現在の社会的な問題の原因はだいたい過去にあるんですよ。しかし若い人はそれを現状分析だけで解決しようとする。それがお年寄りには見てられないのでしょう。

それでお年寄りが話して聞かせようとすると若い人は閉口して耳を塞いで、「マウントをとられた」と被害者みたいなことを言う。

小さい頃広島で原爆の被害者のお年寄りの話を聞く機会がよくあったのだけど、積極的には参加しなかった。いま考えたらもったいないことをした。