昔から夢に出てくるのは小さい頃の親族ばかり。何十年経っても配役が変わらない。他の人たちもそうなんだろうか。


飯干晃一の『仁義なき戦い』

三国人問題とは何か。

小さい頃の遠い思い出。


私たちが生まれる前、呉の日本人のお婆ちゃんは私の両親の結婚に反対だったようだ。

そのお婆ちゃんが初孫の兄と私に色違いのアクリルのチョッキを編んでくれた。私たちはその温かくないチョッキを着てお婆ちゃんに会いに行くのが楽しかった。

若い在日の人やニューカマーの人や韓国人と結婚して韓国で暮らす日本人の人たちの風景が見えてこないのはやっぱり世代と立場が違うからなんだろうか。昔からずっと疑問なんだけど答えが得られない。


前にも言ったけど、最近のヘイトスピーチの最大の問題は偏見の形骸化なのではないか。実態が形骸化してるからそれを想像で補おうとして細かいことを言い始めるうちに袋小路に入って行っているような気がする。


ワンパターンな発言で恐縮ですが、最近常々考え直してるのだけど、日本人は一度昭和の雰囲気を再体験したほうがいいんじゃないだろうか。差別問題にしても、黄金の60年代のゴージャスな感じにしても、仁義なき戦いのような実録物にしても。

少なくとも昔からある差別は昔の雰囲気が感じられないとわかりにくいよね。そのためには昔の風俗に少しは触れたほうがいいと思うんですよ。昭和の映画やドキュメンタリーを観たり、当時の世代の話を聞いたり。

今日の日本人による在日ヘイトの一番気の毒な点は実例が生々しかった昭和の時代に日本人自身があまりにも無頓着にこの問題に対して過ごしてしまったために、日本人が信頼できる日本人側の証言や目撃談が少ないことではないか。せいぜい私のような中年の日韓ハーフぐらいしか意識して覚えていないのでは。


昭和の時代に竹宮恵子の「地球へ」の主題歌をダカーポが歌ってたじゃないですか。今聞くと歌詞がよいね。具体的なことは言ってないけど、わかる人にはわかる。

私が好きな望郷的な歌の歌詞というのはこういうのが多い。

プロの作詞家は依頼を受けると他人の昔の生活についてじっとりと想像を膨らませて書くのかもしれないけど、大事なのはあくまでも次の世代の若い人たちの胸の中に見えているふるさとの景色だよ。


昔のベストセラー「仁義なき戦い」(飯干晃一)をずっと電子書籍で読んでいた。私は昭和46年に広島市で生まれ育ったのだけど、最後の殺人事件の舞台は私の育った隣町だった。私が生まれる8年前だ。そこは部落で私は中学時代3年間この町の屠殺場の匂いに耐えていた。いろいろなことが私の記憶と繋がった。

「仁義なき戦い」はあまりにも有名すぎるしノアールなかっこよさがあり過ぎて今更懐かしい史実として読む人は少ないのかもしれない。

例えば宮島の競艇にしても宇品の競輪にしても新設当時の雰囲気とかわからなくなってしまった。


昔のベストセラー「仁義なき戦い」(飯干晃一)をずっと電子書籍で読んでいた。私は昭和46年に広島市で生まれ育ったのだけど、最後の殺人事件の舞台は私の育った隣町だった。私が生まれる8年前だ。そこは部落で私は中学時代3年間この町の屠殺場の匂いに耐えていた。いろいろなことが私の記憶と繋がった。

「仁義なき戦い」はあまりにも有名すぎるしノアールなかっこよさがあり過ぎて今更懐かしい史実として読む人は少ないのかもしれない。

例えば宮島の競艇にしても宇品の競輪にしても新設当時の雰囲気とかわからなくなってしまった。


背景は述べないけれども、私は山口で生まれ育った在日韓国人の母と呉で育った日本人の父がどうして出会ったのかよくわからなかった。

しかし生前の母親の他愛ない23の発言で全てわかってしまった。母親はGoogleというものを知らなかった。

私はいろんな意味で唖然とすることばかりだった。


野村進さんが96年に「コリアン世界の旅」を書いたときに、「在日がダブルミーニングを好む」という意味のことを書いてたと思うんですが、四半世紀経った今はわりとそれがなくなって、いわば最後の砦だけが残ってるのかもしれない。


自分たちが被害者として散々な思いをしてきたと訴える人をみると確かにそうだと思う。

それに対して彼らを偽善と言ってる人がいたら違うと思う。

何故から被害に善悪はないから。

悪い人だって不慮の被害者になることはありえる。

むしろ気をつけなければならないのは偽善ではなく偏善だ。


最近ますます信念のように思うのは、いかに他人が気に留めないようなすごい本心を吐露するかです。

賛否両論を巻き起こすような議題において、あえて、誰も気が付かず、私だけがこれが言いたかったことだということを人知れず言いたい。


賛否両論の激しい議題について賛否両論の激しい意見を述べて賛否両論を巻き起こして人気者になるような阿呆にはなりたくないじゃないの。


ただ相手の日本人の方はその「初対面カード」を提示されてることに気がつかないまま、勝負に乗らず、「無事解放」されてしまうのよ。で日本人は最後まで何があったかの分かってないの。


太宰治などもそうではないかと思うのですが、メンタルが悪ければ悪いほど書きたいことが出てくるってことはあると思うのです。

ある人にとっては心の傷口から滲み出てくる体液がインクなのです。


もっと書きたいことはあるんですよ。

書いてはいけないのだけど。

ただ個人的な意見を言わせてもらうならば、ヘイトスピーチの議論はその賛成派も反対派もとてもズレてると思う。


出生に含みのある表現がある(ユダヤ系や娼婦の子であることを暗喩しているものが多い)

社会的には嫌われ者である(が、カトリック的には慈悲を施すべき対象)

食べる(生きる)ために罪を犯したり、いたずらをしたりする

というような特徴を持った者のことをピカロという。” (Wikipedia ピカレスク小説)


日本人による在日に対するヘイトスピーチを見ていると、結局は自分たち日本人の中で昭和の時代に失われてしまったピカレスク・ロマンをいまだに保持する在日に対する嫉妬で成り立っているのではないか。

それに対して在日が「私たちのご先祖様は戦前戦後にこれだけ苦労してきた」というと火に油を注ぐだけだよね。私は半分日本人だから、それに対する日本人側の気持ちもわかる気がする。


「私たちだってピカレスク・ロマンに浸りたい」