若い頃バブルだったが、うちが貧しかったのでどうやって食べて行くかを考えていた。結局は手に職をつけるしかなかったのだけど、いまになってそれがじわじわ効いている。


日本人は積極的に差別をしたいんじゃなくて積極的に差別に関わりたがらないんじゃないかな。結果的に被差別者やマイノリティを排除することになり、それを正当化する理屈を言い始めるからかえって差別に加担している格好になってるのでは。


学校で塾に行ってない子は私を入れて23人で、パチンコ屋にいる子は私を入れて23人でした。


最近気がついたことなんだけれども、私はだいぶ前から他人との人間関係がうまく保ててないなあと。

思うに私は今目の前にいる人にあまり興味がないのかもしれない。どちらかといえばその人の生い立ちの方が興味深い。肩書きや経歴ではなくて。

例えば、街を歩いているといろんな飲食店がありますね。私はできたばかりの話題のお店とか興味ないんですよ。どちらかといえば古い下町の中華料理屋とかが好きで、いろいろ歴史を想像すると楽しい。実際ブログでもそういうお店の写真ばかり載せてますけど。でもその店が過去とった賞には興味がない。

またあまりにも古過ぎて有形文化財に指定されてるようなお店もあまり興味がない。そこまで行くといまにつながる身近な歴史の流れが感じられなくなる。例えば古い天ぷら屋が昔やってきた昭和の文豪たちの写真を載せているのだけど、今となっては私の知識ではほとんど誰だかわからない。

私の他人に対する興味もそれと同じなのかもしれない。例えば以前朝鮮人の張本勲さんが生い立ちについて語っていたけれどもなんとも味わい深い話だった。ああいうお話をしてくれる人が好きだ。

以前好きな中年ミュージシャンの方がインタビューで「小説よりも自伝が好きだ」という意味のことを語っておられて、これはよくわかるなあと思った。またその人の歌もそんな匂いのするものが多い。

私もある時期自伝や私小説を読み漁り内省的な歌ばかり聴いていたことがあった。


「仁義なき戦い」について熱く語っている映画マニアを見ると老子の「知る者は言わず言う者は知らず」を思い出す。