昨晩散歩していて思い出したのだけど、私は若い頃とても悩んでいたことがあった。それは何かというと、自分のセンスが良すぎるということだった。それで周りの人とノリが合わなかった。これが若い頃の私の一番の悩みだった。

私があるものに目をつけて「これよくない?」と他人に聞くと誰もそれがいいと言わない。「あれ?」と思いながら一人で愛好していると後にそれが実は玄人筋で人気が高いものだと分かったりすることがよくあった。

それが骨董品的な評価額がついてるものだと「だってこれだけの評価がついてるよ」と周囲の人に説明もできるのだけど、それがないと単にこちらの趣味が変わってるのだと解釈されるだけなんですよね。

逆に私が若い頃、80年代、90年代に商業主義的なメガヒット商品が多かったのだけど、私は全然興味がなかった。それが焼き直しのつまらないものだとわかってるから。でも周囲の人たちはそれに夢中でみんなで盛り上がっていて楽しそうだった。私はその中に入っていけなかった。その後その手のものが中古屋に売り払われて誰も買わないのをみるとますますバカバカしくなったものだった。


極端な言い方をすると、例えば食通の人は自分がおいしいと思う(おそらく相応に高い)お店に一人で行くか、大勢の人とチェーン店に行くかの二択を迫られるのだろうか。


しかし考えてみると私も人のことは言えないかもしれない。例えば私は音楽は好きだったけれど、ファッションには全く興味がなく、どうでもいい安い服ばかり着ていた。ファッションセンスのよい人からすれば私もよくいる見る目のないダメなやつでしかなかっただろう。結局センスの良し悪しもジャンルによるのだろうからお互い様なのだろう。


ともあれ私はその後何十年も生きてきて結局この状況を変えることは出来なかった。気がついたらうちの中に自分でセレクトした趣味の良いもので溢れていて、誰とも交流しないでそれらを鑑賞するのが日課になってしまった。

私は大量生産のどうでもいいものに夢中になっている人たちとうまくやっていくことができなかった。私の人生はこのまま終わるのだろう。