日韓ハーフというキーワードで検索するとわりとたくさん引っかかるのだけど、若い人の他愛ないツイートが多いね。在日の人ほど意識が強くなさそう。まあどちらのノリもわからないこともないのだけど。


成り上がりについて語り合うと二つの意味でマウントの取り合いになりそう。俺の方がより這い上がった、と、俺の方がより逆境から這い上がってきた、と。

大事なのはそこで得られた知見だと思う。他人が参考になるような建設的なアドバイスができるかどうかだろう。


最近、また「仁義なき戦い」の頃の資料を見ている。観ていると両親が若かった時代の広島、呉、山口の風景がよく浮かぶ。あの懐かしい感じに触れながら他に資料がないかと探している。

懐かしいものにしか興味がない。呉に行きたい。

母は高校生の頃呉の喫茶店で働いていたのだけど、その場所を知りたい。今ではまるでわからないのだけど。

ちょうど第二次広島抗争があった頃だね。


この間誰かが「日本語しか喋れない日韓ハーフはただの日本人」って言ってて、まあそういう見方もあるかもしれないけど、そう言う立場の人にしかわからないこと、できないこともあるんですよ。


人種間ハーフの人がガイジンと呼ばれて差別されたと言う話は気の毒だな。私は同じアジア人同士の民族ハーフだからそう言う問題は起きにくいし、そもそも在日外国人の母が出自を隠してたから11,2歳まで自分が日韓ハーフだと気がつかなかった。

その自分が日韓ハーフだと気がついてから、色々と考えるようになった。結局振り返ってみると一番考えていたことは、ほとんど日本人と変わらず外国籍や言語などのハンディのない自分が頑張ったら、母親に代わって、どれだけ這い上がれるだろうかということだった。


また嫌な夢を見た。社員旅行に行って、何故か手荷物が大量にあり、処分しきれず一人で整理しきれないうちに置いていかれて途方に暮れる夢。

大学時代ぐらいから何度も似たような夢をみる。貧乏性で物が捨てられず、いつもそれがネックになっていた。

今在宅ワークの合間に捨ててるけど追いつかない。


今日も他人のツイートで「被差別者やマイノリティが自力で這い上がらなければならないのはおかしい。そんなことをしなくても差別されない社会を作るべきだ」というご意見を見かけた。私も全体としてはその通りだと思うが、這い上がろうとする人は這い上がりたくてうずうずしてるんじゃないだろうか。


昨日考えていたことだけど、もし自分が若い頃にある人が英語と韓国語のどちらか好きな方を教えてやるぞと言ってくれたら英語を選んでいただろうと。

日本人で韓国人と結婚したりして韓国文化にのめり込む人っているじゃないですか。私はあれを観てるといつも私はその逆だなあと思う。

自分の人生を振り返ると、私は英語、数学、コンピュータ、プログラムといったものに自分のリソースを注ぎ込んでいて、あんまり韓国的なものに時間を使わなかった。

韓国人と結婚した日本人は韓国について知ろうとするのだろうけれど、私は最初からそこに立脚していた。つまり私にとって韓国は日本とともに私自身の足場だった。

例えば、孫正義さんのような実業家や力道山のような個人的な道を進んで成功した韓国・朝鮮系の人は多くいるけれど、彼らの多くはあまり韓国文化に浸るようなところを見せないですよね。

結局のところ、それがルーツであるということとそれに興味を持って追い求めるということは微妙に話が別なんだと思う。

もう少し突っ込んでいうと、こういうケースでの韓国はノスタルジアの中にしか存在しないのではないか。つまり故郷に錦を飾ることを夢見るときの故郷であって、改めて考えてみればそれはかつてあったものでしかないのではないか。

私にとって韓国とは自分で実際に見たそれではなくて母から聞いたそれなんだ。そして二世で一度も韓国に行ったことがないまま亡くなった母にとっても韓国は祖父母から聞いたそれでしかなかったんだ。

ある人はこう言う。

「日韓ハーフを名乗るのならせめて韓国語ぐらい話せないと。そうじゃなかったらそれはただの日本人と同じじゃないか。」

そうじゃないんだよ。

外側にあるものを見るのではなくて、内側にあるものを見るんだよ。

私にとって韓国は思い出の中の存在で、「ふるさとは遠きにありて思ふもの」(室生犀星)なんだ。