宗教哲学と成功哲学。成功哲学を棄てて宗教哲学を選んだ人は見たことがあるが、その逆は見たことがない。


相手の顔色をうかがうのではなくて、相手の心をうかがいたい。


成功哲学は宗教哲学を受け入れることが出来ないが、宗教哲学は成功哲学を受け入れる必要がない。


他人から理屈を言われて「なるほどな」と思ったことがない。
理屈はしっかりしているほど新規性がないから、なるほどとも思わない。


自分磨きで光るのは自分だけじゃないだろうか。
だって自分しか磨いてないのだから。


その件についての善し悪しと、人それぞれの気質の善し悪しはまるで一致しない。


成功哲学の末尾についているオチはなくても成り立つのではないかと思われるが、あえてそれをつけているのは一種の贖罪なのだろうか。


「同情心」に対する評価は、時代(より端的に言えば経済状況)によって二転三転する。


素人による涙ぐましい話は銀杏(ぎんなん)に似ていて、それを食するためには、聞き手が自分で臭い外皮を剥かないといけない。銀杏において、食するのは種子であって、臭い外皮ではないんだな。でもそれを自分で剥くのが面倒だという人のために市販されているのが悲劇というやつだろうか。


同じことを感じること多い。僕は世の中には娯楽依存症の人と娯楽不感症の人がいるのだと思う。 RT @chillinchillout 何で奴ら1日中喋ってられんの?24時間誰かと一緒に居て発狂しないの? いつ思索すんの?いつ本読むの?いつ音楽聴くの?いつ妄想すんの? 携帯電話持っ


「ノスタルジーにクリエイティブなし」(近田春夫?)とは言え、ノスタルジーを認識してない人はそもそも創造に縁がない気がします。 RT @tadanoriyokoo 甘えん坊はノスタルジーやセンチメンタルを愛するが、この二つは後ろ向きの精神だ。相手にしない方がいい。といつも自分に言い


創造はノスタルジー嗜好とそれを抑制する意志があってなりたつものなのかもしれません。



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