小さい頃、町内の市街地側に白いマンションが建っていた。あまり高層でなく、奥に長く伸びたその外観はとても瀟洒な雰囲気を漂わせていた。当時の町内には、広いネギ畑と小さな古い木造の賃貸用の家屋やアパートがたくさん立ち並び、コンクリート製のマンションやビルは数えるほどしかなかった。その中でも、このマンションはそれほど派手な外観はしていないのに、妙な存在感があった。それまでの地元のマンションにはみられなかったエレベータやエントランスルーム、管理人室が完備されていた。また、その外壁は全体が白く塗られ、ベランダの底だけがグリーンに塗られていた。今見ればなんてことはない旧式のマンションだが、それでも当時は、海外の保養地にあるような高級リゾートマンションのように見えた。それで、僕は、住人でもないのに、そのマンションの前を通りかかるたびに、何かリゾート地にでも来たような気分になっていた。


小学5年生になったとき、藤本という少年と同じクラスになった。彼とは以前から校庭で見かけたことは何度かあったが、それまで同じクラスになったことはなく、名前すら知らなかった。その藤本と初めて同じクラスになり、初日からたまたま2,3度昼休みに遊んだだけで妙に気があった。僕は学校の帰りに彼のうちに遊びに行くことになった。そして、案内されてみると、彼のうちは、ほかでもない、以前から眺めていたあの瀟洒なマンションの一室だったのである。彼の家族はそのマンションの一番端の角部屋に住んでいた。角部屋は三面に窓があり、他の部屋に比べて、一回り広い間取りをしていた。僕は彼と知り合ったことで初めてそのマンションに入ることができた。

彼に招かれて入ったその部屋の中はマンションの外観におとらないほど垢抜けた内装になっていた。居間ではない、"リビング"いうものを僕はこのときはじめて見た。そのリビングには背の低いチェストが置かれ、その上には、いわゆる電電公社の電話機ではない、ミッキーマウスが受話器を担いだ、別注の電話機が置かれていた。そして、彼のうちはトイレが水洗だった。考えてみれば、マンションでトイレが汲み取りということはないはずだが、それまでマンションに住んでいる友人が一人もおらず、どの友達の家のトイレも汲み取り式だったので、僕は水洗トイレはデパートや学校などにしか設置されていないものだと思い込んでいた。その水洗トイレが個人宅に備え付けられているので驚いたのである。それから、勝手に一番手前の部屋を空けると、そこは建築家のお父さんの仕事部屋だった。その部屋には、小さな水槽があり、金魚やザリガニではなく、それまで病院の受付でしか見たことのなかった熱帯魚のネオンテトラが飼われていた。そのセンスのどれもこれもが見たこともないものばかりだった。


小学校が終わると、僕たちは一旦家に帰り、制服を私服に着替えてから、彼のうちに集合するのが決まりだった。というのは、その頃から、僕たちは自転車で市街地に遠出することを覚えており、彼のマンションの方がその市街地に近いため、集合場所になっていたからである。逆に彼が僕の家に来ることはあまりなかった。また、いちいち着替えていたのは、制服を着たまま学区外に出るのが都合が悪かったからでもある。彼の部屋に入ると、リビングでごろごろしながら、彼が出発できるのを待っていた。彼の準備が終わると、マンションを出て、自転車に乗って、市街地に向かった。まず、二つ隣の町にあるC模型という小さな模型屋に立ち寄った。そこでプラモデルをあれこれ見て、気に入ったものがなければ、天満川を越えて、土橋に入り、Mという模型屋で欲しいものを探した。それでも必要なものがなければ、平和公園を通り抜けて、サンモールの横にあったNに行った。Nというのは当時の広島の繁華街の大きなおもちゃ屋で、趣味の鉄道模型などにも力を入れていた。また、舟入の外れにラジコンのサーキット場を持っており、子供たちにとっては有名なおもちゃ屋だったのである。Nでプラモデルを見て、終わると、本通りにあるS善館やK星堂などの本屋を転々と立ち読みして歩いた。そうして、することがなくなると、また自転車を漕いで帰っていくのである。もちろん、小学生が学区外に出て、ましてや繁華街をうろうろしているなど、ご法度である。しかし、その違法性がまたスリリングで楽しく、毎日遠出を繰り返していた。その一方で、雨の日には、彼のうちでなんとなくごろごろして過ごしたりした。


ある日曜日の午後、藤本と二人で彼の家の居間で安いプラモデルを作って遊んでいると、ミッキーマウスの電話機が鳴った。藤本がミッキーが担いでいる受話器を取ったあと、相手と話している様子が断片的に聞こえてきた。
「はい、もしもし。」
「あん、われ、誰なら。」
「知るか。声だけで分かるか。」
「おお、われか。なんなら。何の用なら。」
「あほか、行くかあや。何でわしがわれの家に行かないけんのなら。」
そういうと、彼は受話器をミッキーの肩の上にガチャンと置いた。
「誰じゃったん、藤本。」
僕は尋ねた。
「うん?ああ、長谷よ。うちのクラスの。」
長谷というのは、うちのクラスの同級生で、背が高く、すらっとした、色の浅黒い女の子だった。
「長谷がどうしたん。」
「長谷がの、他の女らと3人で集まって遊んどるんじゃと。」
3人というのは、いずれも、うちのクラスメートで、わりと地味な感じの女の子たちだった。
「ほいで?」
「ほいでの、『いまから、うちに遊びに来んか』、言うけえ、断ったんじゃ。何でわしが女らの家に遊びに行かなあいけんのなら。のう。」
僕は地味な彼女らの大胆な行動に驚いたが、藤本に冷静に答えた。
「ええんじゃない、行ってくれば。」
「あほか、われ。なんで、わしが、この歳にもなって、女の家に行って、ママゴトの相手をして来にゃならんのなら。」
僕はその彼の返事を聞いて、噴き出した。彼女たちこそ、この歳にもなって、ママゴトの相手を探して、男の家に電話をかけてきたわけではあるまい。藤本は、実のところ、かっこよかったのである。
「なんかしらんけど、ああやって、ときどき、変な電話がかかってくるんじゃ。われのところにもかかってくるじゃろ。」
「ううん、かかってこんよ。」
僕は彼の質問にむっとした。
「ほうか、ええのう。」
彼はのんきに僕をうらやましがった。今になって思うと、彼はこの時点でいまだに第2次成長期を迎えていなかったのかもしれない。


次の日、教室に入ると、僕は長谷と目が合った。あきらかにこちらを意識していた。昼過ぎの体育の時間、僕はひときわ背の高い長谷を見つめた。小豆色のふちのついた体育着にブルマを穿いた長谷の体型はすでに小学生のものではなかった。その日の夕方、僕はいつものように彼のリビングで二人で過ごしながら、長谷はこうして藤本と過ごしてみたいのだろうかと考えてみたりした。


ある日の夕方、街に出かけた帰り道、僕たちはいつものようにあたりをうかがいながら、地元に向かって自転車を走らせていた。しかし、土橋の、路面電車が走る大通りの信号で引っかかったため、しばらく待っていた。やがて信号が青に変わり、ゆっくり自転車を漕ぎ出したとき、隣でたむろっていた中学生ぐらいの男二人が後ろから僕たちの自転車を止めるように声をかけてきた。
「ちょっとその先まで行って。」
一方の男が、お兄さんのように優しそうな声で僕を誘導した。それで、僕はてっきり、彼のことを学校の生活指導の手伝いをしているボランティア学生かと思った。というのは、当時の小学校では学区外に外出してはいけないといわれており、そのために先生が取締りをしているという話をしばしば聞いていたからである。で、言われた通りに自転車を信号の先で止めた。藤本の方は、彼らの声に気が付かなかったのか、そのまま行ってしまった。それをもう一方の学生が追いかけて行くのが見えた。
その後、僕は、声をかけてきた男にその先のガレージの中に引っ張り込まれてしまった。僕は事態が飲み込めておらず、相手の男に対する恐怖感よりも、自分が小学校に通報されるのではないかという罪悪感にどきどきしていた。僕を薄暗いガレージの奥の壁に押し付けたその男は、僕ににやにやと話しかけてきた。僕には、もはや、その男が人間には見えなかった。何かどす黒い闇が僕の目の前に覆い被さってきた。僕には何の力もなかった。

次の日、登校してみると、藤本がいて、僕に話しかけてきた。
「昨日、あのあと、どうしたんなら。」
「うん。あのあと、120円、盗られたわ。それしか持っとらんかった。」
「おお、ほうか。」
「藤本は?」
「わしか?わしゃ、『知るかあ』いうて、怒鳴って、逃げたわ。」
結果的に、彼は僕を置いて逃げる形になってしまったが、別に裏切られたような気持ちもなかった。むしろ彼の無事が分かって、僕はほっとした。


やがて小学校時代最後の冬が近づくにつれて、受験の話が出るようになった。といっても、うちの地域は下町で中学受験する子供はほとんどおらず、盛り上がりみたいなものは何もなかった。しかし、一部に熱心な親がいて、その家の子供だけが受験勉強漬けになっていた。同じ頃、本格的に中学受験を目指す者は少ないものの、次第に塾に行く子供が増えてきた。そのうち、いつのまにか、塾に行っていない子供は僕を含めて3人程度になってしまった。藤本もいつのまにか街の塾に通っているらしかった。それにともない、僕と彼は遊べない日が増えてきた。逆に、藤本が同じ塾に通っている者たちと親しげに話をしている様子を、遠くから見たりすることが多くなった。それでも勉強嫌いの僕は塾に行きたいとは思わなかった。
ある日、藤本が言った。
「お袋が『中学受験せえ』いうて、うるさいんじゃあ。なんか、そこの中学を嫌うとっての。『あの中学だけは行っちゃいけん』って。」
「ほうか。そら、面倒くさいの。」
「じゃろ。ほんまは受験なんかしとうないんじゃけどのう。一応、受けんにゃいけんのじゃ。」
そこの中学というのは、我々の小学校と同じ学区にある、無受験で入れる地元の公立中学である。不良が多く、荒れていることで有名な中学校だった。また、すぐ近くに屠殺場があって、血の匂いがひどかったりしたため、自分の子供をそこに通わせたくないという親がけっこう多かったようである。隣の小学校の学区がいわゆる同和地区で、その隣の小学校には在日の子供が多かった。この中学の学区はこの三つの小学校の学区を合わせたものになっていた。
それにしても、僕は、彼の中学受験には懐疑的だった。というのは、藤本は名門中学に受験して受かるほど特別に成績が優秀というわけではなかったからである。塾に行っていない僕の方が成績がよかった。本人もだめもとで受けてみるだけだと言っていた。


そんなある日、僕がうちに帰ってくると、母が言った。
「あんたあ、川田君、知っとるじゃろ。」
「川田?うちのクラスの?」
川田というのは、うちのクラスのちょっとぼうっとしたところのある子だった。彼は2年前に静岡から広島に転向してきた子で、地元の子ではなかった。
「ほうよ。んでね、川田君とこ、3月で郊外に引っ越すんじゃて。」
「なんでえ。」
「お母さんが川田君をうちの中学に行かせるんがいやみとうなよ。悪いのが多いけんね。」
「ふうん。」
僕はどうでもよさそうな返事をした。
川田のお母さんというのは教育ママとして有名な人だった。どこか神経質そうな人で、川田の話によると、僕たちが遊びに行って帰るたびに、あとでヒステリを起こしては、「あの子らを二度とうちにあげたらいけんよ」と言っているらしかった。それで、僕たちも彼のうちにはあまり行かないようにしていた。それで、母から上の話を聞いたときには、僕はなるほどと思ったのである。


さて、3学期になり、一部の生徒の机が空席になっていることがあった。彼らは受験などで欠席しているらしかった。ある日、藤本の席がぽつんと空いていた。その日の昼休み、僕は何となく彼の机の角をなでてみた。次の日、彼は何ごともなかったかのように登校した。受験について何も触れず、僕たちはいつものように漫画やアニメの話をしていた。
その後、数日前に地元の一流中学を受験した生徒が、昼過ぎに登校してきて、教室に入るなりガッツポーズをした。僕らは「おお!」と歓声を上げた。しかし、それ以外の生徒については、受験合格の話はあまり聞かなかった。藤本も特にそういう話をしないから、おそらくは落ちたのだろうと僕は思っていた。でも、それならそれでよかったと思った。また、地元の中学で一緒に遊べると思ったから。
それからあっという間に三学期が終わり、僕たちは小学校を卒業した。卒業といっても、ほとんどの生徒はそのまま同じ町内の中学校に通うわけだから、校舎が移るだけの話で、それほど淋しい気持ちもなく、お互いにふざけあったりしていた。藤本ともふざけて遊んで、いつものように手を振って別れた。


四月になり、初めて地元の中学に登校した。その初日は、一旦、小学校に集合し、小学校の先生の引率でそのまま中学校まで歩いて行くことになっていた。しかし、なぜか、その集合の中に藤本の姿がなかった。彼以外にも、中学受験に成功した者や、以前から親が地元の中学を嫌がっていると伝えられていた生徒の姿もなかった。平均的な者たちだけが大勢残っていた。僕は中学まで歩いていく途中、誰かに話しかけた。
「藤本、知らんか。」
「お前こそ、知らんのか。」
「いや。」
「お前が知らんのなら、わしらも知らんわ。」
「ほうか。」
それから、中学に入ると、僕たちは、入り口の立て札に張り出されたクラス表を見て、自分が何組になったのかを確かめた。その際、何となく気になって、藤本の名前を探してみたが、見つけることができなかった。それから、教室に入る前に、先月まで小学校で同じクラスだった者同士で集まって、お互いに何組になったかを確かめ合った。その際にも、もう一度、僕は同じことを聞いてみた。
「藤本の名前がなかったんじゃけど。」
「おお、あいつだけ、なかったのう。」
すると誰かが言った。
「ほいじゃあ、今日の帰り、あいつのうちに行ってみようで。」

その日の夕方、僕たち数人は集まって、彼の自宅に押しかけた。
玄関の呼び出しチャイムを鳴らすと、寝巻きのようなトレーナー姿の彼が出てきた。彼は、僕たちの訪問を予想もしていなかったのか、驚いた表情を浮かべた。彼の驚いた顔を見て、誰かが切り出した。
「おう、われ、今日はどうしたんなら。何で中学に来んかったんなら。」
すると、一瞬ひるんだ彼は、向き直って怒鳴り返した。
「わしゃ、あの中学には行かんのじゃ。お前らとももう遊ばんのじゃ。帰れ。帰れ。」
そう言うと、藤本は、ドアに一番近い者を突き飛ばして、玄関のドアを閉めてしまった。その後、僕たちは再度、呼び出しチャイムを鳴らしてみたりして、玄関越しに彼をからかってみたが、その玄関が開くことは二度となかった。僕たちはあきらめて彼の部屋の手前にある螺旋階段をぐるぐると歩いて、降りた。
「なんじゃあ、あいつは。」
「あがあなやつたあ、もう絶交じゃあ。」
不満をぶちまける彼らと一緒に階段を下りながら、僕はときどき彼の部屋の方を振り返ってみた。しかし、そこには彼の顔はなかった。


僕は階段を下りながら、ショックでぼんやりとしていた。僕は、その日まで、彼から何も聞かされていなかった。他の友達はともかく、今日まで2年間、毎日のように二人でいっしょに遊んでいた僕に何の説明もなかったことが信じられなかった。そして、今日、一方的に、もう二度と遊ばないと彼は言ったのである。僕は今日まで一体何をしていたのだろう。他の者たちと別れて、帰り道をひとりで歩いていると、やがて広いネギ畑が広がってきた。ネギ畑の向こうには点々と小さな古い木造家屋が散らばっていた。ネギが夕日を浴びて青く輝いていた。僕はネギ畑の途中で立ち止まり、大粒の涙を落とした。


その翌日、中学でまた同じクラスになった者から、藤本が市街地近くの中学に通うらしいことを聞いた。その中学というのは、僕たちと同じ一般の学区制の市立中学だった。ある学区から別の学区の市立中学に通学するというのは、普通はありえない選択である。もしかしたら、ご両親がすべての受験に失敗した息子を柄の悪い地元の中学に行かせるのを嫌って、別の学区の市立中学に行かせる手続きをしたかもしれない。


それから、しばらくの間、僕は毎朝、彼のマンションの前を通りながら、通学していた。あるいは、彼に出会うかもしれない、そうしたら話を聞こうと思ったのである。すると、ある朝、彼のマンションの前から、一台の黒い中型車が出てきた。車が僕の進行方向に向かって右折すると、その後座席には、うちとはちょっと違ったデザインの学生服を着た中学生の彼が座っていた。変わった色の詰襟の学生服を着た彼は青年将校のようだった。しかし、その彼は、僕と一瞬目を合わせると慌てて顔を背け、不自然にこめかみあたりをかきむしるようなしぐさをして、自分の顔を隠してしまった。彼のお父さんは息子の異変に気が付かないまま、車を走らせた。考えてみれば、僕はそれまで2年間、毎日のように彼のうちに行っていたのに、このお父さんを見たのは、これが最初で最後だった。このお父さんがあのネオンテトラを飼っていたのかと冷静に考えたりした。このとき、一秒一秒がそれほど長く感じられた。僕は彼らの車を見送りながら、ゆっくりと歩いた。車は川嶋病院のところで行き止まり、そのT路地を右折して、市街地の方に向かって行った。僕も同じ道を歩いて行き、同じT路地にぶつかったので、彼らの逆方向に曲がって、自分の中学校に向かって行った。